2010年9月4日、午前9時に高田氏と車で旭川を出て、岩見沢まで無料の高速道路を走る。国道12号線を江別王子交差点まで行き、右折、対雁(ついしかり)へ行く。この周辺は、明治初期に結ばれたロシアとの条約を契機に、樺太アイヌが強制的に移住させられた地域である。墓地と資料館を訪れ、対雁地域の歴史と地理について調査する。
その後、隣町の当別町太美で作家本庄睦男の「石狩川」文学碑を見る。背の高い塔と、高見順の筆による「石狩川文学碑」という文字が印象的である。この地点で東京の玉井五一さんから電話がある。10月末の小熊秀雄追悼の「長々忌」の打ち合わせだった。
南下し、銭函から小樽へ向かう。午後3時小樽着。国道から左折、坂道を登り、小樽へ来るたびに写真撮影を行っている「富岡カトリック教会」のすぐ上に当たる花崎皋平氏宅を訪れる。
花崎さんのことは
「静かな大地-松浦武四郎とアイヌ民族」(1988年)
という作品を読んで、その内容の深さから、その人柄をも密かに尊敬していた。この作品を契機に、花崎氏の著作をいくつか読んでいた。しかし、私に、実際に花崎氏にお会いする機会などが訪れるはずもない。
しかし、今春、旭川で行われてきた第43回の詩人小熊秀雄を顕彰する
「小熊秀雄賞」
に花崎さんが選ばれた。私は、それまで、花崎さんが詩を書いていることさえ知らなかった。なかなか手に入りにくい
「アイヌモシリの風に吹かれて」
という詩集を、旭川文学資料室で目にした。選び抜かれた、しかし、難解ではない言葉で書かれた詩に感動した。
そのことを、この賞の事務局長を務める高田氏に伝えると
「小樽まで会いに行きましょう」
と言う。彼には、昨年、東京の玉井五一氏との再会やサハリン行きなど、私一人では行えなかったことを次々と実行に移す契機を与えられてきた。
私は、高田氏へ、5日には札幌の小熊秀雄研究家の大堀富美子さんに会うことも提案した。大堀さんとは、1982年に、東京の小熊秀雄の「第1回長々忌」でお会いしたことがある。私は28年ぶりで大堀さんとお会いするのも、今回の旅の大きな楽しみだった。
花崎さんは1931年生まれ、79歳である。坂の上のお宅に一人でお住まいである。海の見える、大きなガラス窓のある家へ通される。玄関口には
「観海居-花崎」
と書いた表札がかかっている。「かんかいきょ」と読むらしい。文人らしい名の付けられた素晴らしい家である。
居間の丸いテーブルには、今まで読んでいたと思われる岩波版「漱石全集」の中の一冊が開かれている。花崎さんは、日常的に漱石などに目を通す方なのだということがわかった。
5月に既に花崎さんと面識のある高田氏が、初対面の私を紹介してくださる。高田氏は、小熊秀雄について、私がエッセイなどを書き、最近は講演を行っていることなどをお伝えした。すると、花崎さんは
「小熊秀雄は、-飛ぶ橇-でアイヌを親しく描いていますが、彼は樺太ではアイヌと付き合いがあったのでしょうか?」
という質問を私にする。この件は、詳しく調べても、小熊がアイヌと樺太で出会っていたという事実はどこにも記されていない。さらには、日露戦争後、南樺太に残って住んでいたとされるロシア人との付き合いもあったかどうかが明確ではない。
アイヌと小熊の接触については残念ながらこの程度のことしかわからないが「飛ぶ橇」に込められたアイヌへの小熊の共鳴は、樺太の少年時代にアイヌとの交友なしには書かれるはずがないという討論となった。
その後、花崎さん自身の詩との出会い、小熊との出会いなどを中心に5時ころまで、2時間ほど海を眺めながらお話をさせて頂いた。
お別れする前に、近作「おたるとみおか滴滴詩録」という詩集を頂いた。また、旧作で私が持参した「静かな大地」に署名をして頂いた。私はこの著作の著者の自宅をお訪ねし、この本に署名を書いて頂くことを想像したことは一度もない。
思えば松浦武四郎を、アイヌという民族の存在を、北海道という私の故郷を認識させていただいたのはこの本による。私にとっては大切な本だった。
最後に、小熊賞の正賞である
「詩人の椅子」
に、花崎さんご自身に座って頂き写真を撮らせていただいた。
翌日の午後、旭川へ帰宅して「おたるとみおか滴滴詩録」を繰り返し読んだ。詩とは、難解な言葉で抽象的な言葉を操るものではなく、肩ひじを張らず、しかし、歳月を経た人生感と教養に裏打ちされながらこのように書いていくのがいいのだと思い知らされた。
哲学者で住民運動の行動家としてのイメージの強かった花崎さんは、私の中で、小樽富岡で会いした時から
「詩人」
のイメージが強くなった。
9月とはいえ、いまだ気温の高い小樽だったが、「観海居」で花崎さんにお会いできたことは神の恩寵であった。また、小樽へ行くことがあったら、旭川の地酒でも持参しようかと思っている。

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