2015/2/20  19:39

フォックスキャッチャー  映画感想 2008年〜

「アメリカ的拝金主義」とか言うけど、アメリカは拝金主義なんじゃなくて成功至上主義なんじゃないか、と前にも書いたことがある。ジョン・デュポンは金はあるけど、それは家族から相続しただけで、自分の力で成功した結果じゃない。アメリカ基準では、デュポン氏は本来ルーザー(負け犬)なのだなあと、この映画を見ていて感じた。

アメリカ映画には勝者と敗者の対比を描いたものが多く、特にスポーツの世界を描いた映画ではそれは避けて通れない。勝者がいろいろ葛藤するのをシリアスに描いたり、負け犬が奇跡的に勝者になるのを痛快に描いたりするのだけど、実際には勝者と敗者の区別というのは残酷なほどはっきりしているのがスポーツの世界。

オリンピックの金メダリストであるシュルツ兄弟は、ビンボー家庭出身でも、性格がジミでも、いろいろ葛藤を抱えていても、まぎれもない、ゆるぎない勝者なのだ。デュポンはスポーツで挫折し、ビジネスでも(多分)大して才覚なく、コミュ障気味で容姿も良くない。

それでも上流階級の篤志家で、鳥類学者として博士号持ってるぐらい頭も良いので、その世界で満足していれば、それなりに尊敬を集めて優雅に暮らせただろうに。あえて勝者敗者がはっきりしたスポーツの世界にのめりこんでしまう。アメリカ的男性的価値観ってやつなのでしょうなあ。

それでも、本人が「俺はいろいろダメだが、幸い金はあるから、ハンデは金の力で埋め合わせて幸せになるぜ!」ぐらい自覚していれば、自分もハッピー、まわりもハッピーだったろうに。

まわりに人が集まる(というか集められる)のも、立ててもらえるのも、金の力であることは明らかなのに、必死で目をそらし、自分自身の指導者としてのカリスマだと思い込もうとするその様子は滑稽で、痛々しくて見ていられない。これがコメディだったら、スティーブ・カレルは真顔の悪役演技で大いに笑わせてくれただろう(いかん、怪盗グルーとか思い出した。)

ここでいつもの私の癖で、何の共通点もない(たまたま私が続けて見たという以外には)映画を引き合いに出しますが...

考えてみればジョン・デュポンさんの立場って、ベイマックスのフレディ君と同じですよね。デュポン氏はレスリング、フレディ君は科学が好きで好きで、でも自分には才能がない。それでも好きが嵩じてレスラー/科学者の仲間に入り、天才たちに囲まれている。(おまけに、フレディ君も実は大金持ちの息子。)

同じ立場でも、フレディ君はとても楽しそうに毎日過ごしている。お金の力で科学者たちに恩を売ろうとか、上の立場に立とうなんて考えつきもしないみたいだし、仲間たちも、「君は科学者じゃないからここにいるのはおかしい」なんて言わないし、ふつうに友達として接している。

いや、デュポン氏のことだって、レスラーたちは「金を出してくれる人なのでイヤイヤつきあってる」ってわけじゃないんだ。気前が良く面倒見のよいスポンサーの彼を、仲間として受け入れているし、「サーなんて堅苦しい、ジョンと呼んでくれ」と言われれば屈託なく「やあジョン!」と呼びかける。

でも、デュポン氏の「ジョンと呼んでくれ」は、本当に対等に友だちとして付き合いたいという意味ではないのよ。「あくまで上の立場の者が、目下の者に対して寛大さを発揮している」というつもりの「ファーストネームで呼んでくれ」なのよね。

そう、彼はレスラーの仲間、友達になりたいわけじゃない。あくまで指導者として尊敬されたい。人生の師(メンター)と思ってほしい。

それは無理な話なんだけどね。スポーツ選手ってのは、一流になればなるほど、競技において自分より実力が上の人しか尊敬しない。皆が人格者と認める大先輩であろうと、ファンには人気の伝説的スター選手であろうと、実力が下の人を本当に尊敬はしない。これはもう、残酷なほどはっきりしている。まあ、そりゃそうだよね、どんなスポーツであれレベルはどんどん上がっているのだから、ビデオで過去の試合を見たって「自分の方がずっと上手くできる」って思っちゃうものね。

まあ、選手としてはいまいちだったけど指導者としては超優れている人もいるし、そういう人は選手も尊敬するのだろうけど、それにはよっぽど実績がないと。デュポン氏が、なぜよりにもよってスポーツの世界で「精神的指導者」「人生の師」などという中身のない曖昧な言葉で「偉大な自分」像を作り上げられると思っているのか、いまひとつ良く分からない。

分からないけど、それは彼の「愛国者」的側面と結びついているような気がした。結果が日々シビアに表れるスポーツの世界と違って「この国の若者を導く」とか「アメリカの精神を体現」とかは中身のない曖昧な言葉。自分が「アメリカ一のレスリング指導者」だと言えば明らかに嘘だが、「レスリング選手の師となることを通じ、アメリカの若者を精神的に導く偉大なメンター」ならば...

まあ、アメリカ的価値観、アメリカの愛国主義と、アメリカアメリカ言ってますが、曖昧で中身のない言葉で偉大な自己像をでっち上げる、って点じゃ日本の「愛国者」も同じようなもので。むしろ、デュポンがヘリコプターの機上で、マークに自分を褒め称えるスピーチの練習をさせるシーン、自分を褒め称えるドキュメンタリーを作らせるところ、あの「必死やな(笑)」なことろは最近日本で大流行の「日本sugeee!」的テレビ番組と重なるところがあるような。

デュポンがクローゼットゲイで、マークを潜在意識的に愛していたのではないかという感想も読んだけど...可能性としてはあるにせよ、この映画の描写からは、私はそれはあまり感じなかった。むしろ、「そうだったら、なんぼか救いようがあったのだろうけどなー」と思う。

デュポンが愛していたのは、現実には存在しない理想の自分だけ。どんだけ悲しいねんそれって。
タグ: 映画 俳優 foxcatcher



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