2006/10/6
東海道を小さな車でひたすら走り、既に長い時間が経過していた。出来るだけお金を使わず、シンプルにゆっくりという、ささやかな我々だけの決めがあった。ヨハネスは、ドイツでその質素な生活感覚をしっかりと身につけていた。電話と冷蔵庫はあるが、灯りはローソクを好み、奥さんと泉君という3才の息子との生活にテレビは入り込まない。彼にとっては、いつもの生活を旅でも続けているに過ぎなかった。
しかし、現実には、私の運転する車は箱根、静岡、浜松、名古屋などで多くの信号に阻まれ、巨大なトラックの群れの中で押しつぶされそうだった。静岡あたりではついに夜の闇に入り込み、疲れが出てきた。いつもの自分なら、高速道路を使うところだが、今日は何と言っても、ヨハネスが一緒だった。意地でも、質素を貫くしかない。
しかし、私の体力は旅に出るといつもの力を超える。ヨハネスとの会話を楽しみ、カセットテープの音楽を聴き、初めて通過する街の風景を楽しんでいた。なんといっても、時間に縛られない完全な自由があった。
琵琶湖湖畔の坂本に着いたのは、真夜中の1時を過ぎていた。私は京都入りするのは−山越え−と決めていた。実際、急な山道を登りきり、如意ヶ嶽の頂から眼下に京都の灯りが見えた時は、昨日の昼からの運転の疲れが吹っ飛びいい気分になった。
ヨハネスは、京都が初めてである。鎌倉も古い寺が多いが、京都はさらにヨハネスを驚かせるかも知れない。展望台では、ヨハネスは、京都の夜景を見て
「夜の京都・・・すばらしい」
と、言った。
涼しい秋の風が山頂を吹き抜けている。
山を下りて京都の街へはいると深夜3時を過ぎている。最初は鴨川の畔で野宿をしようとしたが、ヨハネスの提案に従って、車を稜線の浮かぶ北の山の方へ向けた。北の方向の道を私はよく知っているわけではない。ヨハネスは漢字が読めないので頼るわけには行かない。この際、勘に頼って運転した。
深泥ヶ池という場所に出た。近くに博愛会という大きな病院がある。そこをさらに北へ進み、叡山鉄道木野駅へ出た。周囲は人家が少なく、工事現場の近くに川が流れていた。
「ここはどうだろう?」
と、私が言うとヨハネスは
「いいえ、山がいいです。必ず素晴らしいところがみつかります」
と、確信を持ったように答える。私は線路を超えると、山の方向へ車を左折させた。
時間はいつの間にか午前4時を指している。まもなく岩倉という、見覚えのある集落へ入った。それぞれの家はまだ寝静まって、我々の車のエンジン音以外は、時折、犬の遠吠えが聞こえるくらいだ。
岩倉実相院から右へ折れる。此処は江戸末期の頃岩倉具視が倒幕急進派の弾劾に合い隠棲した土地である。そのことは知っていたが、この地を訪れるのは初めだった。林道を奥深く進む。小さな池がある。さらには森の中に名前の分からない病院があった。さらに、大学ような大きな建物もある。森というのに一体何故この大きな建築物が次々と現れるのだろう。
(続く)

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投稿者: artstudio
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