「「ツンデレ」と格差社会〜「蟹工船」と経済総力戦A」
戦時経済文化
2008年の日本。
そこでは小林多喜二の「蟹工船」がブームとなり、共産党への若年世代の入党者が増大していると言う。冷戦構造が崩壊してからはや20年が経過しようとしている現在、プロレタリア文学も共産主義も歴史において語られる事柄になろうとしていた。それが急速な関心を示されているのは何故であろうか。この現状は冷戦構造の崩壊以降20年の日本経済における労働環境が歩んだ道程を概括して考える必要があるだろう。
冷戦構造の崩壊は世界的に資本主義体制が社会主義体制よりも優れているが故の帰結であると認識されている。しかしながら、冷戦期の西側諸国の経済政策が必ずしも「資本主義」的であったのかと言えば一概には言えないであろう。冷戦末期に米国レーガン政権や英国サッチャー政権、それから10年近くが経過した後に行われた我が国の小泉政権が志向した「小さな政府」と比べるならば当時の資本主義とは国家の大きな統制が加えられており、自由を維持し続けるための平等感の保持を国民に与える役割が強かった。何故なら、極度の経済的自由の追求は国民に社会主義体制への羨望をもたらしてしまうからに他ならない。社会主義という代替可能性が冷戦期には存在していたが故に、経済的自由への追及は抑制されたものとなっていた。しかしながら、冷戦構造の終焉によって世界を語る「言語」は「自由主義市場経済」となった。それはイデオロギーという政治思想的対立が姿を隠した結果、「経済」と言うより国家の存立用件を前面に国際政治が動く結果となったのである。
バブル経済が崩壊するまで(その崩壊はまさに冷戦構造の崩壊と時を同じくしていた)、我が国に国民総中流という意識があったのは事実であろう。それは最後の社会主義国家とも皮肉られた1940年代に構築され戦後官僚によって脈々と継承されてきた総力戦国家「日本」が生み出した国家統制制度がそれを支えていた。「護送船団方式」と呼ばれた中央官庁による各産業の統制がそれを象徴している。しかしながら、この総力戦国家「日本」の存在が戦後一貫した経済成長を生み出したのであるが、この議論は日本の市場の閉鎖性という観点にのみすり替えられて諸外国からの批判を受けた。無論、当時の日本経済の生産性が高かったかと言えばそうではないであろう。しかし、システムとしての総力戦体制と言う概念が誤っていた訳ではなかった。グローバル化した経済において求められたのは、経済発展を急ぐ発展途上国家(ASEAN、BRICS)群との全面的な経済戦争であり、そこには国民の経済生産能力を全面的に投入であった。これを総力戦と言わずしてなんと言おうか。
しかしながら、総中流による平等は、労働生産性の悪化を招いていた点も否定しがたい。バブル期の日本の勤労者所得は先進諸国の中でも高止まりしており、そのままでは発展途上国の安価な労働生産力に太刀打ちする事は難しかった。そのため、バブル崩壊後に日本企業が行ったのが大規模な人員整理と非正規雇用によるその代替であった。人員整理は1990年代に50代を迎えていた団塊世代が、非正規雇用には同じく20代が影響を受けた(最も、ここで両世代が第1次と第2次のベビーブーマーであり、世代構成数が多いのもまた事実である)。サブカルチャー文化の担い手20代が直面したのは非正規雇用であった。フリーターという言葉は当初、既存の労働秩序への若者の反論として現れた。つまり、「現在の正規雇用には魅力が無い、自分の夢を実現するには」というロジックである。しかしながら、多くの勤労者にとって自身の仕事に誇りはあるかもしれないが、それが「夢」であるかは別問題である。このフリーター登場における若者が用いていた「言説」とは正規雇用へ登用されない現実への楽観的な反論に他ならなかったのだ。(続)

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