「戦争という名の「希望」〜「東のエデン」が示した日本」
戦闘美少女文化

「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」
このタイトルで2007年1月号「論座」(2008年10月号にて休刊)に掲載された赤木智弘の論文が、日本の論壇にセンセーショナルを巻き起こしたのはもう2年も前のことだ。その衝撃は当時、顕在化しつつあった小泉構造改革の負の部分を「弱者」と呼ばれる立場から痛烈に指摘したからに他ならない。構造改革により経済が回復軌道に乗ろうとも、格差が解消しないのであれば社会の下方平準を希求する。そのもっとも簡単な手段は戦争だ。その論文が社会に投げかけたものは、戦争放棄、そして自由と平等な「地上の楽園」。まさに東の「エデン」を目指した戦後日本の全否定であった。
そしてその衝撃から2年経過した今、彼の指摘した世界は一つの深夜アニメとして結実した。フジテレビ系列の「ノイタミナ」で4月から6月まで放送された「東のエデン」である。舞台は2009年11月〜2010年2月にかけての近未来日本。日本各地に10発のミサイルが落下するも死傷者はなし、そんな事件を首相の失言と重ね「迂闊な月曜日」と世間が忘れ去ろうとした頃、11発目のミサイルが落下した。そんな時節的に刺激的な題材で始まるストーリーが提示したかったのは、まさにこの赤木智弘の論文そのものだった。ちなみに4月に北朝鮮の飛翔体発射というミサイル防衛を用いた一大空襲のデモンストレーションを体感し、北朝鮮が再び弾道弾を発射すると声高に叫ぶ現実に住む今日の我々からすれば「ミサイル」は日常化しつつある。しかし、この「東のエデン」のアニメ化が発表された時(昨年10月)には極めて刺激的な内容であったのである。
過労で倒れた父母、契約社員での賃金は僅かで資格を取得しても給与は上がらない。そんな若者が決意したこの国を戦後からやり直すという選択。その手段こそが祖国へのミサイル攻撃だった。それを防ぐために奔走する主人公。自分の生まれた国を、そしてそこにすむ人々を殺戮するという行為を防ぐ、それは「ノーブレス・オブリージュ」という言葉ではなく日本人としての心の奥底にある本質なのかも知れない。しかし、そんな「持つもの義務」を果たす主人公も「持たざるもの」――NEETに近い存在だ。いや、主人公の周りを取り巻く若者たちは全て「負け組」と言っても過言でないのかも知れない。
若者が戦後のやり直しを目指して、60発のミサイルが発射させた日。
海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」から次々と発射されるトマホーク巡航誘導弾に対して、航空自衛隊のJ/FPS-5レーダーが探知し目標へとペトリオットPAC-3地対空誘導弾やF-15J戦闘機からAAM-4(99式中距離空対空誘導弾)が放たれ次々と撃墜していく。その光景は、数ヶ月前に我々の眼前で展開されたかも知れない光景であるが、その情景は巡航ミサイル防衛(CMD)という軍事的観点に立つならば極めて精緻である。
その精緻な光景を全てを満たされた青年は外車の後部座席から見つめて呟く。
「ミサイルなんか落ちなくたって、この国は既に死に向かっている」
この言葉も現在の日本を端的に表しているだろう。誰もが薄々認識しながらも、表立っては口に出せない言葉だ。破断界に達しよう(あるいは破断界を超えてしまった)という日本を変えるという難題。ある意味でこの危機は明治維新や戦後の復興以上のものがある。日本という国家は2600年以上に渡るとされる歴史において初めて衰退という時代を目の当たりにしようとしているからだ。「東のエデン」が描く現在への漠然とした不安。それは現在の日本をまさに象徴的に示していると言えるだろう。

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