2009/4/20

儒教とは何か 書評 浅野裕一『孔子神話』・『儒教 ルサンチマンの宗教』  評論

 「儒教(儒学)とは何か」という問いに対して、現代においては「儒」という字の古くから(孔子以前)の意味に着目して論を展開していくという叙述スタイルがある(注1)。
 これに対して、本書(以下『孔子神話』を「神話」と呼び、『儒教 ルサンチマンの宗教』を「新書版」と呼び、特に区別しない時は「本書」と記す)は孔子思想を出発点として後世への儒教(注2)の展開について述べている。従って著者にとっては儒教とは「孔子教」に他ならないのだが、本書の特徴は「ルサンチマン」という概念を軸にして「孔子教史」を論じているところであろう。著者は孔子を王位(天子位)に就く欲望を秘めた野心家(ペテン師)と見做し、その後学についても「天子としての孔子」を何とか時の王侯に認めさせようとして不断の(世を欺く)努力をした存在と見做している。
 なお本書で論じられている孝経論や中庸論、あるいは各王朝における孔子への「待遇」については各研究者のそれぞれの専論において取り上げられればよいし、またそうされているから、本稿では儒教という教学大系を大局的にどのように把握すればよいかいう観点から本書の内容を論評したい。もとより儒教像や孔子像など十人十色であっていいという考え(注3)もあろうが、評者は著者とは違って儒教の信奉者であるから、本書を素材に言葉は誰でも知っているが内容は少しも自明ではない儒教なるものについて論じてみたいのである。
 全体の印象を述べておくと、『神話』の序章を見る限り著者は「儒教とは何か」という問いに答えようとしているようであるが、孔子に始まり康有為に終わる同書の構成からする儒教論は日本・朝鮮・ベトナム等中国以外での儒教の展開を視野に入れようとすると全く取っ掛かりがつかめないものとなる。ただ『新書版』の序において「もともとバランスのとれた儒教史を目的としていない」ともあるのでこの辺は咎めても仕方あるまいし、中国世界以外での儒教を、その地域独自に形成された倫理なり行動様式を後から儒教倫理の概念で説明し直したと言うにすぎない(『神話』317〜318頁)とも予防線を張っているからこれもどうしようもない。
 孔子の野心については、例えばその習礼に関して「礼学の演習に名を借りた、革命の予行演習」といったように記される(『神話』55頁)。こういった著者から見た孔子(や孟子・荀子)の王位への野心と、『神話』第四・第五章で取り上げられている孔子素王説とでは随分意味が異なると思うが、著者は『神話』「あとがき」において「独断と偏見に満ちた確信」とも断わっているので、この辺についてもとやかく言うのは野暮であろう。
 因みに孔子を現実に下克上を目論む“革命家”であるとはっきり明言しているのはー王充のような儒家とは呼びにくい人物を別にすればー我が荻生徂徠の『論語徴』が先駆的であるだろう(注4)。また韓愈や司馬遷や屈原と並べて、孔子や孟子の「不平」や「怨念」に注目した近年の著述として大木康『不平の中国文学史』(筑摩書房・1996年)がある。これらの叙述と本書の異なるのは、孔子や儒家のルサンチマンの方向性を専ら王位=天子の地位に限定している点である。
 これについては後に触れるとして、評者が評価したいのは、上述したような「儒」の原義から展開される儒教論においては孔子(や個々の儒者)の活動や思想は、「儒教の本質」ではないとされかねないのに対し、本書の観点からすれば孔子は儒教において欠くことが出来ない存在になるというところである。
 ところで、仮に白川の言うように「儒」のもともとの意味が雨乞いの時に犠牲とされた巫祝であったとしても(あるいは胡適や馮友蘭の原儒論を加えてもいい)、それが例えば孔子が子夏に対して言った言葉に見える「女為君子儒、無為小人儒」(『論語』雍也)の「儒」と同じもの、あるいは前者の発展した姿が後者である、という保障はない。手堅い実証スタイルで鳴る著者が「儒」とは何かについて触れないのも、余程古い文字資料が発見されない限り原儒の実態など分かりっこないと考えているからであろうか。
 ただそういった近現代の字義学からする「儒」の論議は別にしても、古人も孔子以前から「儒」なるものは存在していたと認識していたことは『周礼』に「儒」や「師儒」について記載があることや、『漢書』芸文志に儒家者流は上古の司徒の官から出たと記されていることから明らかである(注5)。従ってルサンチマン論はいいとしても、孔子以前の聖人である先王についてもこれを繰り込まない儒教の定義は不十分なものである。もとよりこれは本書が今文経学としての公羊学を中心に論を展開しているからこそであると言ってしまえばそれまでである。しかし先王の実在を否定してしまう康有為の孔子教を「儒教神学」の完成体と見做す(『神話』第十章)のは、聖人の存在を必要条件としない字義学的・土俗的儒教論(注6)と偏頗的という意味で五十歩百歩であると言わざるを得ない(康の学説が今文学派の中でも特異なものであることはもとより著者も十分承知の上であろうが)。
 ここで評者の考える儒教の定義を述べておくと、すなわち「先王の遺制と孔子の思想乃至は行動がイコールで結ばれることを証明する教学にして、且つその内容を実践すべく努力する営み」である。そのための勉学や実践のテキストが経書であることは言うまでもない。崇拝対象として最低限欠くことが出来ないのは天・先王・孔子の三者である(注7)が、古文経学の存在を考慮に入れるとすれば孔子尊重の度合は前二者程でなくともよいということになる(注8)。
 また「先王」は唐虞三代の開祖(もとより堯舜以前の聖王も含まれる場合がある)の総称であって一つの王朝の先王に限定されない。学派によって微妙な差はあるものの、教祖的人物よりもそれに先行する上古の天子達が上位に置かれる(例えば王陽明や荻生徂徠の教説に著しい)というのは同じ普遍宗教でも仏教やセム系一神教と大きく異なる儒教の特色であろう。
 なお孔子や孟子の頃の「儒」や、孔子の出自について評者の考えるところもあるが、煩雑になるので今は述べない。差し当たり、周代までに蓄積された知識大系の内、先王に纏わる伝承を特に尊ぶべきと説いたのが孔子であったと考えている。
 このように言うと著者は先王の権威は孔子以前の統治階層や史官、あるいは墨家を始めとする儒家以外の諸子においても認められており、儒家の占有物ではないと反論する(『新書版』274頁)かもしれない(墨家の先王崇拝については後述する)。
 しかしそもそも一つの王朝や王権が唐虞三代すべての先王を尊重しなければならないという義理はないであろう。周人が文王や武王と同等に夏や殷の先王を敬わなければならないという理屈はなく、敬うか敬わないかは個々人の嗜好であったのではないだろうか。
 これは春秋・戦国期の諸侯国において顕著であって、周室と微妙な距離を保ち、夏や殷の末裔とされる杞・越や宋と対峙していた楚や斉(特に舜の子孫とされる田斉)においては恐らく堯と舜は共に偉大な帝王と見做されていたと思われるが、舜が簒奪者の如く描かれている『竹書紀年』が作成された魏においては、堯はともかくとして舜が聖天子であってはまずい事情があったのであろう(注9)。
 それはともかくとして、孔子以前の有識者も周以前の聖王の伝承に多かれ少なかれ通じていたであろうが、そのことと太古の先王すべてを尊重せよと教えとして説くのとは社会的意味が異なる。儒教にとって孔子という存在の重要性は、上古から周までの聖王を系列付け(『尚書』が堯典から始まるのは、堯を孔子が自らの知りうる限りで時代が一番古い天子として認識していたからであろう)、一つの王朝や王権を超えた新しい意味で「先王」を把握したところにあると考える。
 故に儒教の核は復古主義的先王信仰であり、孔子はそれを最初にとなえた人物として儒教史上欠かせない存在であるということになる。
 勿論、著者が先王抜きの儒教(歴史的には孔子の権威が先王のそれを徐々に後退させていったとする)を想定するのは自由である。ただ歴代の儒者は君主制以外の統治システムを構想したことはなく、恐らく彼らは先王の後継者としての歴代天子と、孔子の後継者としての大臣・官僚・読書人層等との「共同統治」(江戸儒者の一部も、所謂幕藩体制をこれに類するものとして自己規定していたと思われる)によって上は天に敬事し、下は人民に臨んでいるという認識を有していたであろう。またあくまで「共同統治」であったからこそ時の王朝が別の貴族や異民族によって危機に瀕しても最後まで忠義を尽くさなかった輩も少なくなかったのであろう。
 孔子は儒家・読書人層の守護神であり、しかも彼らは郡県制下で官僚をつとめながらも、上古の三代の封建の治世を理想としていた(江戸儒者の場合は自らの社会的地位の低さを嘆いてはいたが、徳川の世は封建制であり三代に近いとしてそれを謳歌することができた)。その意味で秦漢以降の儒家は常に体制への精神的反逆者であったと考えている。
 ここからすると「先王・周公を排除して、孔子に儒教の教祖の地位を独占させることは、当初から儒教運動の最大の目標であり、一貫した悲願であった。」(『神話』310頁)といった著者の儒教論や孔子のイメージが、現実の儒者が思い描いていた理想(妄想?)と著しく乖離しているということになるであろう。
 著者の儒教=ルサンチマンの宗教論は、儒家のルサンチマンの発露の形を王位への執着とのみ捉えるため、例えば『論語』顔淵「樊遅問仁」条に見られる孔子や弟子の被登用願望や鄭子産や斉晏嬰に対する孔子の高評価は無視されることになる。直接天子とならなくとも皐陶や伊尹のような有力宰相の地位に就けば(後世の経学では彼らも聖人と見做される場合がある)、理想の政治を行い制礼作楽に関与できるというのが一般的な儒家の認識であったはずである。
 なお本書以降に発表された著者の論稿(注10)を見るとまさに儒教的ルサンチマン論を引っ提げて禅譲思想の発生要因といったようなテーマに斬り込んでいる。しかしルサンチマンそれ自体は何ら可視的なものではない。それは例えば「天命」といったものと同様である。禅譲思想がどのようにして生じたのかというのは優れて実証的な問題設定であるが、それは儒家の怨念から生まれたのだと主張されても、そうかもしれないしそうでないかもしれないと答えるしかない。秦帝国が短期間で崩壊したのはなぜかという問いに対して、それは天命が秦から離れたからですという風に答えるのは、一つの回答として別に間違っていると評者は思わないが、実証史学の論文の内容としては許されないであろう。孔子やその信奉者を罵る修辞としてルサンチマン云々と述べるのは問題ないが、歴史的故事が記された文献を何らかの理論書として考察する場合は、それが作られた政治的背景や作者が置かれていたであろう情況をより丁寧に見ていく必要があるのではないか。
 議論が新出土史料の見方にまで拡散してしまったが、最後に本書の記述に立ち返ろう。先に述べたように、著者は先王の権威を尊重した学派は何も儒家に限った話ではない、また孔子以前から先王崇拝の念は存在したと『新書版』274頁で述べている(注11)。
 これへの批判としての私見の一端も上述の通りだが、諸子百家について言えば、儒家以外で復古主義の指標として先王を尊崇していた学派が果たしてどれほどいたであろうか。
 そもそも著者自身『神話』において「なぜに先秦の儒家のみが(中略)我こそ王者たらんとの野望を抱くのであろうか。」と自問して、「その原因は、儒家が唱える徳治主義にある。儒家は、有徳の聖人こそが上天より受命して新王朝を創建し、徳を用いて太平の世を開くべきであり、堯・舜・禹・湯・文・武と続く先王の系譜が明示するごとく、事実歴史はそのようにして推移してきたとの徳治主義を標榜する。」と述べている(98頁)。
 政治的尚古思想の表明として先王の名を持ち出してくるのは儒家以外にはー諸家折衷的な立場を別にすればー(注12)ほとんどなかったのではないか。弁論術のための先王の権威と政治的復古主義のそれとは区別すべきであろう。
 ただ墨家の先王権威尊重姿勢については一言しておく必要があろう。確かに著者も言うように墨家は儒家と等しく先王の道を奉じ、自説を展開するのに『詩』・『書』を引用する。それでいて儒家とは違って自学派の開祖を帝王に擬えたり、天子になって然るべき人物であったなどと主張してはいない。
 この相違は、墨家の非攻論と舜禹の三苗征討や湯武放伐といった先王の武力行使伝承が、理論的に突き詰めれば整合性を有しないというところにあったと評者は考えている。
 墨家は、聖王の道に合致するとか、天命を受けて不義の暴君を討つとか、あるいは天下の諸侯の利益になるといった意義がある「誅」や「救」は正当なものとして認める(『墨子』非攻下)。しかし彼らの同時代の有力諸侯が例えば湯武の道に倣うと称して他国を併合することは絶対に認めないであろう。墨者はあからさまには言わないが、墨家の思想体系においては「誅」や「救」の「認定権」は彼らの手に握られているのである。つまり過去の聖王の軍事的事績は墨家にとって事実上それきりのものであって、現代に再現されるべきものではないのである。しかしそれを露骨に述べれば、非攻論は墨家のためにする議論ということになってしまい、正当性を疑われるであろう。
 こういった態度の行き着く先は諸侯割拠の世の現状維持という超保守主義であり、墨家の論理の帰趨は統一を実現する聖人が出現する必要はないという論に落ち着く(注13)。
 「天志」や鬼神が悪しき人間に罰を下す超越的存在であるとすれば、先王権威は不義の諸侯を牽制するための歴史的超越者ということになる。従って墨者は墨子を先王の後を継ぐべき聖人と喧伝することはなかったと思われるのである。
 また宿命論やコストのかかる礼楽を拒否する墨家は『易』や『楽』や煩瑣な礼(について記したもの)を経(=先王の術)とは認めないであろう。さらに『墨子』公孟に見える次のような遣り取りも墨家の先王観を見る上で重要である。

  公孟子謂子墨家曰、昔者聖王之列也、上聖立為天子、其次立為卿大夫。今孔子博於  詩書、察於礼楽、詳於万物。若使孔子当聖王、則豈不以孔子為天子哉。子墨子曰、  夫知者必尊天事鬼、愛人節用。合焉為知矣。今子曰孔子博詩書、察於礼楽、詳於万  物、而曰可以為天子、是数人之歯、而以為富。

 もとよりここでの墨子の発言は一義的には孔子聖人論を否定することが目的であろう。しかしその文脈で、礼楽のみならず『詩』・『書』や「万物」に広く通じていることまでが否定的に見られていることは注目に値する。儒家の博学主義に対して、墨家の専修主義と言えるかもしれないが、所詮実用一点張りの墨家にとって古典全体に通暁することなどは「愛人節用」の理念に反することで、自分達に都合のいい主張が見付かった場合のみ『詩』・『書』や『春秋』の一節を引用して説教していたのであろう。
 また先王信仰以外にも古くから中国に存在した祖先祭祀や葬礼等の風俗・習慣が、孔子以降儒教の内部に包摂されていったため両者を区別することが困難となり、あたかも伝統的な礼俗が儒教そのもののように見られるようになったが、それらは中国世界の共有物なのであって儒教の占有物であったわけではないという意味のことも著者は述べている(『新書版』274〜275頁)。こちらは礼楽を以て儒教に不可欠のものとする議論、乃至は東北アジア人のある種の習俗や思考がしばしば恣意的に「儒教的〜」と決め付けられたりすることを念頭に置いているのであろうが、韜晦的な記述で今ひとつ理解しにくい。
 儒者が古礼を先王による制作物と見做していることを、儒教信奉者ではない著者が事実に反すると述べるのは構わないが(注14)、少なくとも儒者がある礼俗を三代の制度に由来すると考えているのであれば教学的には全く問題ない。右に要約したようなことを著者がことさら述べるのはどうしても孔子を先王の下位に置きたくないからであろうか。
 本書は通常の学術書の叙述スタイルを採用していないから、孔子が先王の上位に置かれていても異とするに足りない。しかしどうも著者は本当に儒教において先王を重視すべきではないと考えているのでないかと感じたのは注10前掲論文「孔子は『易』を学んだか」に接したときである。
 この論文で著者は孔子と『易』に接点があったとしても、それだけでは儒家の経典となる必然性はないとして、『易』が経典視されるようになった原因を論じている。しかし孔子との接点がどのようなものであれ、『易』が伏戯や文王・周公といった先王によって作成されたという伝承が存在していたのであれば(それが孔子以前からあったものかその死後に発生したものかに関係なく)、それが経の内に繰り込まれるのは自明であったとせねばならない。
 恐らく孔子後学は師の復古主義的先王信仰を見てとって、それに追随するため古先聖王に関連する文献や伝承を収集して自分達の基本テキストとしていったのであろう。
 因みに『春秋』も周公旦の子が封じられた魯の史書であったから先王の典籍として経の資格を得たのであり、『神話』131頁に記すように孔子の筆削が入っている(注15)かどうかは関係ない(尤もこの辺の記述は儒家罵倒修辞以上のものはないのかもしれないが)。
 『易』も同様であるが(『神話』128頁において『周易』に経典の資格ありと明快に述べている)、著者は先王の存在を儒教の核と見做さないせいであろうか、前掲論文において孔子に万物に通じる王者としての資格を付与するためにこれが経典視されていったと論じている。六経の権威の出発点を孔子に帰してしまうのである。これは実証史学論文の体裁を借りた経今文学と言わねばなるまい(注16)。
 本書における孔子やその後学に対する悪口三昧も、自らの儒教観の経今文学への傾きを悟られまいとするカモフラージュではないかと邪推してしまう。
 孔子の徳は天子に等しいとか、聖王の世に孔子が生まれれば天子の位を得たであろうといった類の大仰な儒家の言説(後世の中国人の文章術のあり方を規定したのはやはり儒家であろう)が著者にはルサンチマンと映ずるのも(儒家のレトリックは東京への対抗意識を燃やす大阪人が好みそうな雰囲気を漂わせている)、すべて儒教の権威の源を孔子に求めるからであろう。
 しかしながら各時代を通して儒教を形作っていたのは、先王や唐虞三代という「古代史」と孔子との「関係史」である。孔子のことだけ語って先王に言及しない儒者・経学者はまず存在しない。日本のことしか語らない日中関係史の研究などというのはありえないのと同様である。仮に先王より孔子に重点を置いて儒教をイメージするとしても、その特徴は孔子がやはり唐虞三代を“聖なる古代史”として「認定」したところにある。
 従ってその「認定者」が時代状況や学派によって、王様もどきであったり、「古代道徳」の偉大な教師であったり、はたまた「古代」を再現しようとする戦国浪人であったり様々な像が描かれるが、そこに先王の影を見ないわけにはいかないのである。儒教にルサンチマンを見出すのはもとより誤りではないが、孔子が「王」であること(なりたくてもなれなかったこと)が重要なのではなく、彼が古代を「再現」しようとしていたことが(結局再現できなかったことが儒家の怨念のもと)重要なのである。その「古代」の主役が先王であることは言うまでもない。素王説もあくまで再現手段の一つに過ぎない。
 本書における儒家への罵詈雑言の中で、唯一共感できたのは現代新儒家へのものである(『神話』314頁、『新書版』267〜268頁)。評者も彼らの「面白味」に欠ける宋学紛いの思想で未来の中国世界がよくなるとは思えない。尤も儒教は何も中国人(漢民族)だけのものではないのであるから、日本人が儒教を再興しても少しも構わないのである。留意すべきことは、儒教にとって孔子のみならず先王(信仰)もなくてはならないものであり、「孔子の教導に従うならば、(中略)太平の世に導かれる」(『神話』316頁)という理念は君主制(天子制)の存在を前提とするものであるという点である。
 現在の中国において儒教や孔子が再評価されていると言っても中共の対外宣伝のネタに使われているのを別にすれば「市民道徳」の形成に役立つと考えられているレベルであろう。もとより共産党の支配下で儒家の理念を本気で実行するのは不可能であり、強いて行なおうとするならば中共政権を倒す「革命」を第一段階として実行し、さらに君主制を復活させる「二段階革命」が必要である。
 これは別にふざけて言っているのではない。評者は中国の近代化のためには辛亥革命が必要であったとは思っていない。この革命によって中国は「出遅れた」のである(アヘン戦争や日清戦争の時点で出遅れていたのではない)。百歩譲って反満民族主義を抑えるのは無理であったとしても、袁世凱の帝政復活を阻止せねばならない道理は少なくとも中国側にはなかったと考えている。すなわち清朝が倒れた時点で中国にはナポレオンが必要であったのであり、孫文を始めとする革命派がその任に堪えうるものであったとは考えにくいのである。
 一方の日本はと言うと、君主制は備わっているものの(血統存続は危ういが)、それを支える貴族も士大夫もいない。こちらは君主制理念の再構築(万世一系主義の見直し)と帝王を守る藩屏の再興(新興)が必要である。
 評者の儒教観は著者のとはかなり異なるが、一人の村夫子としてやはり孔子の無念を晴らしたいと考えている。

         注

1 例えば白川静『孔子伝』(中公文庫)や加地伸行『儒教とは何か』(中公新書)な ど。

2 評者は「儒教」よりも文献上の表現として先行する「儒学」という言い方の方を好 むが、本稿では「儒教」で通す。

3 池田秀三『自然宗教の力』(岩波書店・1998年)50頁。

4 聖人がすなわち天子であるとする聖人観も本書と共通する。但し徂徠は、孔子を革 命待望論者であったと見做しているものの、必ずしも天子位への執着があったとは考 えていない。また「素王」という概念を認めているわけでもない。無官の帝王という よりもむしろ「国盗り」を企む豪傑といったイメージではないかと思う。徂徠の孔子 観については野口武彦『荻生徂徠』(中公新書・1993年)が簡潔に述べている。

5 芸文志には儒家者流について「祖述堯舜、憲章文武、宗師仲尼」という記述がある が、「宗師」には、開祖とか教祖といったニュアンスは含まれないと思われる。つま り芸文志の著者は、孔子出現以前から儒家者流は先王を祖述憲章する人々として地味 に存在していたと見做していたと推測される。なお池田前掲書152〜153頁、関 口順『儒学のかたち』(東京大学出版会・2003年)第一章「儒学の形成」等も参 照。

6 加地前掲書153頁において「祖霊信仰、祖先崇拝の礼俗は(中略)〈聖人〉が作 り出した教化方法などという知的レベルのものではない。東北アジア人が脈々と受け 継いできた、死生観という人間の心の奥底に存在する感情の表現なのであって、その ような人間の本質をこそ取り入れたものが儒教である」という記述が見られる。また 同書36頁には「よく〈中国人の天の思想〉と言う人がいるが、それは皇帝(天子) を中心とする一部の思想であって国民的ではない。」という記述が見られる。こちら は儒教の教義についての説明ではないが、東北アジアの民衆の現代に生きる多神教的 土俗としての「儒」を重視する加地にとって上天信仰はさほど重要ではないのであろ う。

7 池田前掲書208頁における儒教の定義で、聖人として信じる対象が孔子に限定さ れていて先王が含まれていないのは遺憾である。なお皐陶や伊尹といった一般的な伝 承では天子とされない大臣・宰相も聖人とされることがあるが、これは時の先王と共 同で制度を設計した人物であるからであろう。
  関口前掲書6頁及び165~166頁に荀子の聖人観を説明して、彼は歴史的具体性から 離れた理論的な聖人を説き、「聖人の道」についても自己の思想体系に沿って説明し ており、それを単に「先王の術」と見做すことを避けているとする。これからすれ  ば、聖人すなわち天子と考える儒家が主流派であったかどうかは不明とするしかな  い。

8 漢代儒教や清末の経今古文学派対立の影響を蒙らなかった日本や朝鮮の儒教におい ては、今古文論争も無縁なものであった。ただ日本においては朱子学系以外の有力学 派として伊藤仁斎や荻生徂徠の古学派の流れがあり、仁斎においては人倫の教師とし ての孔子の登場は歴史的に大きな意義があったとされる。仁斎学における孔子は先王 と同等かそれ以上の存在とされていると言ってよいであろう。
  一方徂徠は孔子を、先王の道を追い求めながら制礼作楽の志を果たせなかった挫折 した英雄と見做し、孔子が尊崇した先王を高く評価しない仁斎に激しく反発してい  る。但し仁斎は先王を軽視しているわけではなく、統治者の領分として先王の道と、 学者や被治者の領分としての孔子の道とを分別し(つまり仁斎は徂徠と違って孔子の 道と先王の道を同じ「一つ」のものとは考えない)、自らは後者を奉じていると認識 していたと思われる。平石直昭『改訂版 日本政治思想史』(日本放送出版協会・2 001年)参照。

9 これは『竹書紀年』の作成に儒家系の史官が関与した可能性を排除するものではな い。そもそも孔子や孟子のように一つの王権に従属せずに各地を遊説した儒者は必ず しも多数派ではなかったであろう。自らが禄を食む王権に阿る史観を展開する儒者が いておかしくはない。むしろ『論語』・『孟子』・『荀子』に代表される、特定の王 権に遠慮せず、唐虞三代を賛美し忌憚なく人物評を行なう文献が後の儒者に歓迎され 残存しそれ以外は散逸していったと見るべきではないだろうか。
  なお堯舜禅譲譚については佐藤長『中国古代史論考』(朋友書店・2000年)第 三「堯舜禹伝説の成立について」が、簒奪を実行した斉の田氏の下で現行のような形 に整えられたと述べている。
  郭店楚簡『唐虞之道』や上博楚簡『容成氏』の内容も視野に入れた先秦期の禅譲思 想についてここで詳述する余裕はないが、評者はこれらの文献を儒家内部の純粋な理 論的思考(ルサンチマンも含む)のみによる産物と見るのには反対である。

10 「郭店楚簡『唐虞之道』の著作意図」『大久保隆郎教授退官記念論集 漢意とは何 か』(東方書店・2001年)所収、「『容成氏』における禅譲と放伐」『竹簡が語 る古代中国思想』(汲古書店・2005年)所収、「孔子は『易』を学んだか」『諸 子百家〈再発見〉』(岩波書店・2004年)所収など。前者において『唐虞之道』の  作成意図は、一介の士に過ぎなかった孔子が王位を得るとすれば、その手段は時の王 侯からの禅譲しかなかったはずだという儒家のルサンチマンに由来すると述べられて いる。
  しかしそもそも儒家の幻想の「孔子王朝」が、禅譲という(きわめて具体的な)政 治的方法でしか「実現」できないと考えるのは評者には理解できない発想である。例 えば『史記』孔子世家に、楚の昭王が孔子を「書社地七百里」を以て封じようとした ものの、令尹子西の忠告によって取りやめたというエピソードがあるが、そこには  「夫文王在豊、武王在鎬、百里之君、卒王天下、今孔丘得拠土壌、賢弟子為佐、非楚 之福也」云々とある。孔子後学の怨念がよく表れている記述だと思うが、封土を得る きっかけは時王の譲与であったとしても、それから後は文王や武王のような王者を  「目標」にすればいいのであって、堯舜故事に固執する理由はないように思われる。

11 これは「著者の言うように孔子が「儒教の一切の源」であるなら、なぜ先王が儒教 の教祖の地位を占めるようなことが起こりうるのか。」と『神話』の内容を評した関 口順「孔子の「怨念」は果して晴らされたのか」(『東方』197号・1997年)に対す る反論であるのかもしれない。

12 例えば前漢初の賈誼は儒家的傾向の人物だが、その著『新書』を見ると、先王・孔 子・弟子の発言や事績以外にも管仲(管子)・晏子・老子等の言が引かれている。

13 著者が嘗て述べているように(『墨子』講談社学術文庫・1998年)、墨家は儒家同 様天子を頂点とする封建制を基礎とした秩序を理想としていたが、理想の聖天子が現 れるとどこまで本気に信じていたか疑問である。
  また禅譲思想が墨家から発生したという説も彼らの「現代聖人不要論」からすれば 首肯し難い。大体、無力な周王が誰かに禅譲したところで天下の大勢に影響はないの であるから、そのような無意味な儀式を墨家が歓迎するとは思えない。

14 東北アジア民衆の心情に基づく聖人抜きの礼俗的儒教論を展開する加地前掲書153 〜154頁)も鬼神祭祀を聖人による教化の産物とする六朝儒家の見識を批判してい る。

15 孟子の孔子春秋述作説はー王侯に対して僭越かどうかは別にしてー、この頃経書視 されるようになっていた魯の『春秋』が無味乾燥な年代記であったため、そこに何か 深い意味を見出したかったことから生まれたのではないか。但し同説が孟子に始まる のかどうかは現時点では留保すべきであろう。
 
16 池田前掲書が『神話』の内容を評してミイラ取りがミイラになっていると述べてい る(49〜50頁)が、著者の本書以降の論稿を見るとこの池田の論評は適切であったと 言わざるを得ない

(岩波書店・1997年、平凡社新書・1999年。文中敬称略)(4月22日・25日・26日・27日・5月22日加筆訂正)
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2011/5/12  2:10

投稿者:ジェームズ


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2011/4/24  10:56

投稿者:シンジくん


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2011/1/9  7:36

投稿者:ノッポさん


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ガッチリギャラもゲットしたし、いい事尽くめだわこれ♪


http://aig7xap.yes.snapknap.com/

2010/12/3  23:36

投稿者:機関棒


ふぇら好きお姉さんに買ってもらった!!

早速おしゃぶりしてもらったんだが、口の中で舌がぬるぬる絡みつくのやべェ!!
スペ○マ吸い出すみたいに飲まれて、軽く昇天しかけたぞ(w

これで6万も貰ったんだが、ホントにいいのかよ?(^^;)



http://pai.fedrick.net/4v5illr/

2010/10/11  1:38

投稿者:Mたろう


ア ナ ル舐め&手 コ キのダブルアタックやべぇぇぇぇ!!!!
毎回やられちゃって、もう完全にド Mに調 教されてしもたっす!!!!

お金もいっぱいもらえるし、このまま飼われちまおうかな?(笑)



http://hood.jukekick.com/y81hosc/

2010/10/4  2:26

投稿者:だいすけ


うにゃぁぁぁ!!8万で買ってもらったけど、激しすぎっ!!!!
何回も騎 乗 位で犯されて、ほとんど野獣みたいなセク一スだったよ!!
ザ一メソ出しすぎて最後にはカウパーも出なかったし・・・(苦笑)



http://goo.gl/q3XS

2010/9/7  5:59

投稿者:シンジ


熟 女は初だったけど、ぶっちゃけチョー気持ちよかったぞ!!

Hの時もノリノリだし、報酬も若い子相手より多めに貰えたしな♪

今日もエ□セレブ相手にちゅぱちゅぱしまくってくるぜぇぇぇ!!ヽ(^o^)ノ




http://9o-fpnc.high.nurupopo.net/

2010/8/24  6:05

投稿者:ケンタロウ


7 万で練習相手になったんだが、最近の子のテクやべぇぞ!!
特にオ マ ○ コをギューッて締めるワザ!あれなんなんだよ!?
めちゃくちゃ気持ちよくて、中 出 ししまくったっつーの!(笑)

ていうか、ぶっちゃけHの練習する必要ないんじゃね?(^^;)



http://4okkd9i.hatu.g-killing.net/

2010/6/9  2:01

投稿者:魔羅マラ夫


にょひょほほほほ!!!!(゚∀゚≡゚∀゚)
昨日セレヴとセックチュしたら、まさかの12万ゲットォォォォ!!!!
熟れたボディも思ってたより工ロくてウマウマ(゜∀゜)でちたwwww



http://easyurl.jp/15eo

2009/12/31  4:55

投稿者:たにし


喉の奥とベロで「キュゥゥウ」っとかやられたら
もうオレ、2秒くらいで発射してまうねんけどwwwww
おかげで一日に何発分も稼げるから良いけどな!!!爆!!

これ
http://yes.xiexiexie.net/41h6p6s/

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