2009/6/30

生命体・・・  映画

 生物・・・生活現象を行うもの。生命を有し、栄養を取り入れ生長・活動し繁殖を営むもの。動物・植物の総称。いきもの。 (大辞林より)


 と考えると、彼らもまた生物なのでは・・・

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 行ってまいりました『T4』。今回のジョン・コナーは、私も敬愛するクリスチャン・ベール^^ 


 彼らは、もはや人間と手を離れ、独自に原材料を手に入れ(栄養を取り入れ)、独自に仲間を製造し(生長、繁殖し)、地球に仇なす人類を駆逐していく(活動する)。


 もし、トヨタの本社工場が、無人工場を作り、自動制御で車を作り、ネットを介して自由に販売したとして、・・・


 これを生命活動ではないという理由はなんでしょうか。


 彼らは生命体なのか。


 いや、我々の方が機械的なのか。


 人類を駆逐するということを、至上命題にしている彼らと、


 勝手気ままに生きている我々と、


 どちらが生命体らしいか。


 他人を思いやり、他人の喜び、悲しみを己のものとし、己に己で義務を課すことを高貴とする。


 そんな考え方を生み出した人類は、


 生命体として失格ではないのか。


 

 生命活動を阻害しかねない事項でも良しとする場合がある。


 それが、


 人類。


 私の仮説です^^ 


 
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2009/6/20

意外と深い言葉・・・  

 『人生には、三つの坂があります。一つは上り坂。もう一つが下り坂。最後に、まさかという坂がある』


 元総理の含蓄あふれるお言葉でございます^^



 最近になって、この言葉に別の解釈が生まれました。


 『頑張る』『努力』といった言葉。


 私はこの言葉を出来るだけ使わずに過ごしているのですが、その明確な理由が見つかりました。



 予め想定できた事柄。



 望んで起こった事柄。


 これら二つに、私は頑張るという言葉を使いたくないのです。


 

 惚れに惚れて飛び込んだ道です。おいそれと『頑張る』なんて言葉は、恥ずかしくて使えない。それなら、8月31日の小学生諸君の方がよっぽど頑張ってる。



 そう。


 彼らは(というか、かつての私は)、夏休みに遊びに遊んだその先で、『まさか』という坂に直面し、快楽には代償が伴うという社会勉強をするのです。


 それから考えれば、私の前にある坂は、どんなに急勾配ではあっても、『まさか』ではない。ほぼ、想定の範囲内でしょう。



 声が出続ける限り、私に『まさか』なんて言葉はありません。『頑張る』もありません。


 ただ粛々と、坂を上り、下るのみ。


 これは、真に頑張っている人達に対する、私なりのけじめであり、


私のようなだらしない人間が己に課せられる、最大の戒めであり、


ある意味、己の境遇に対する、感謝なのです。




 
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2009/6/10

落語強化月間・・・  ステージ

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 志の輔師匠独演会三連発でございます。この他にも、好楽師匠のお弟子さん、兼好師匠独演会、立川志遊真打披露と、落語会がえらく続く今日です^^


 人間はこうあるべきではという人情ものから、どうしようもねぇなという業の肯定、『だくだく』みたいなナンセンスもの、『はんどたおる』や『異議なし』といった新作もの。


 いろんな演目があるわけで、談志師匠曰く『落語ってのは、人間の業の肯定なんですよ。忠臣蔵で討ち入りに行く奴を描くのが歌舞伎なら、行かなかった奴を描くのが落語なんです』。


 勿論、『死神』や『黄金餅』みたいな、ああ、人間とは・・・みたいな作品も好きですが、志の輔師匠が独演会の最後にやられるような、人情物、武家物も落語には違いない。


 なぜ落語が今日まで残ったのか。


 人間、日本人が、古来から培ってきた何か、あるいは、答えを見出せなかった何か、それらが、作品の背骨として受け継がれているからだと思うのです。


 演出家ピーター・ブルック曰く『「これが好きだ、これをやりたい」 という最初の直感に固執している限り、たいがいの場合、自分の好きなものを説明したいと願うだけの閉じた円環に閉じこもってしまうことになる。つまり、「これが好きだ、だから好きな理由をお見せしよう」 ということになりがちなのである。次にくるのは、「それが好きだ、なぜなら世界について知らねばならぬすべてのことが書かれているからだ」 という段階である。個人的な表現は目標ではなくなり、私たちは発見を分かち合う方向へ向かう。』


 『すべて・・・』私にとってはでかすぎですが、私の現在の作品選びの指針になっています。
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2009/6/6

言語とは・・・  

 ふとしたことが気になって、『傲慢』を辞書を引いてみたのです。


家、意味ではなく、英訳を。

答えは 

arrogance

発音はこれ http://dic.yahoo.co.jp/audio/01010079.WAV


 あれ? と思って、今度はこっちを引いてみる。

elegance

発音はこれ http://dic.yahoo.co.jp/audio/01011083.WAV


・・・

ぱっと聞いただけなら絶対間違えるんじゃないっすかね? 


それも、一方は傲慢。一方は優雅。


絶対間違えちゃいけない二つだと思うのですが。

英語圏の人、不便ではないんかな?



と思ったのですが。


支援

私怨


この二つは、発音まったく一緒。


まぁ、前後の文脈から考えれば、この二つを取り違えることはないわけですから、arroganceとeleganceも、同じ理屈で、間違うことはないんでしょうな。




 先日、爆笑問題さんが番組で、言語学者と対談してらっしゃいました。


『アフリカのある地域には、さようならという言葉がないんです。

あなたと別れるのは惜しい。でも仕方ない。あなたが家に無事つけますよう、私はずっと祈っています。

という思いを、ひとつの言葉にするという観念が、彼らにはないんです。』


 ゆえに彼らは、音楽という手段を使う。さようならに限らず、彼らはあらゆる思いを、音楽で伝えるというのです。


 かたや、声を体系化させ、多くの言葉を編み出した我々。

 かたや、声に頼らず、言葉を進化させなかった彼ら。


 言葉のプロを自負する者として、そういう民族がいるということを、漠然と聞いてはいましたが、考えたのは初めてでした。


 私がこうして、そう、今打ち込んでいるものも、単なる暗号、記号に過ぎないのではなかろうか。


 別れるときは、さようならと言う。

 そんな約束事の中で、我々の言語社会は成り立っていると思うのです。


 太田さんの言葉。

『僕は、頑張る、頑張れ、ていう言葉に、違和感があるんですよ(実は私もそうです)。といって、代わりになる言葉が見つからない。英語なら、good luckとか、take it easyとかあるんですけど、これも和訳するとなんか違うし』


 『頑張れ』に代わる言葉、心当たりのある方は、私までに^^
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2009/5/29

映画強化月間・・・  映画

 というほど大げさではないのですが クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します

行って参りました 


スラムドッグミリオネア、よかったぁぁぁ もう、完全にダニー・ボイルの掌で私は踊ってました。引き込まれました。

冷静に考えればある種の御伽話ですが、話運びと演技で、映画の世界は現実感を帯びてくる。


それは、映画の鼓動といってもいい


新宿インシデント。 

よかったぁぁぁ でもジャッキー、こんなんやって大丈夫なの? ってぐらい、今までの路線を完全に外れてました


天使と悪魔。・・・原作読んでからいけばよかったかなぁ 前作同様、謎解きの連続。なんか、脳トレ映画みたいでした。とはいえ、映画は娯楽。これは、脳で汗をかく娯楽なのでしょう。

最後の司教の台詞。『宗教には欠点があります。それは、人間に欠点があるからです』


『聖書は、天国からファックスされていたのではない』と、これは前作の台詞。


神話も宗教も、人間が作った。


では神もまた人間が作った概念なのか。


それとも、神という概念が、人間を人間たらしめているのか。


ここ一年、ずっと考えているテーマです。ま、考えることが好きなので、あまり答えを出すことに固執はしてないのですが・・・
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