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沼津海軍施設本部野外実験所跡 1

2016/11/9 | 投稿者: キャプテンハヤト

 海軍施設本部沼津屋外実験所跡

 戦争が続くと、港湾や飛行場は勿論、要塞、砲台等の設営、築城術も”独自に習得する必要性”が増し、1941年(昭和16年)海軍建築局の機能を高めた”海軍施設本部”を設立し、特設設営隊と対応したのだが”人員の養成は急務”だった。

 大東亜戦争が始まり、工作術要員の増員と、更に艦船、航空機、施設等のダメージも激しくなり、整備や修造、築城等の”工作術要員が更に必要”になった。

 それから米軍は、ブルドーザーやショベルカー等の土木機械が発達しており、陣地や飛行場を易々と建設していたのに対し、日本軍は、土木工事の機械化が遅れており、建設重機技術の必要性もあった。

 戦争末期、1944年(昭和19年)駿東郡清水町に築城術、航空機整備術等の養成教育、研究、実験、技術者として必要な機械工学や修造技術の教育、技能者として必要な技量と経験の習得を図る”沼津海軍工作学校”が開校した。(本校は、横須賀海軍工作学校)


 さて、今回調査したのは、その関係施設、海軍施設本部沼津屋外実験所跡だが(工作学校の跡地は、町や工業団地になり、記念碑ぐらいしか残っていない。)要塞、砲台、陣地等の設営術、築城術、土木建設重機技術を研究、実験していた場所だった様である。


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 コンクリート造りの遺構が、深い藪の中に埋もれる寸前で残っていた。

 円形で、壁には四角い凹みが四つある。

 これは何の施設跡だろう?


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 一見、貯水槽の様にも見える。

 今は木や枯れ葉で相当埋もれてしまっているが、当時はもっと深かったと思われる。

 中に入ってみる。


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 出入り口なのか、ちょうど縁が欠けたのか、ここから入った。


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 四角い凹みは、側溝なのか、中がどうなっているのか観てみる。


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 奥には続いていなく、小さな溝になっているだけだ。


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 こちらも同じく、四角い溝

 今は、土等で埋もれているが、当時は、底まで溝があったのかもしれない。


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 何れにせよ、実験所なので、本施設ではなく建設実験で造った物なのかもしれない。


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 縁に釘の様な物が残っている。

 当時は蓋がされていた様だ。


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 他にも遺構が在るかもしれないので、探してみる。
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2017/5/9  19:51

投稿者:キャプテンハヤト

あきのりさん
そうだったんですね、今度は遠慮せず声かけてくださいね。^^;と言ってもあの”場所”では挨拶程度しかできませんが、また会いましょう。
ついこの間まで寒くてしょうがなかったのに、今はかなり暑くなって来ましたね。
登山は気持ち良い季節でしょう。
廃異探も創業9年目になりました、ゆっくり続けて行きますのでよろしくお願いします!
あきのりさんも登山と音楽等頑張ってくださいね。(`・ω・´)ゞ

2017/5/5  21:32

投稿者:あきのり

こんにちは、お久しぶりです。

今日ほこてんに出掛けたら、あの某名店でハヤトさんが仕事してい
るのを見かけました、今あそこに居るんですね!すげえ。
声かけようと思ったのですが、大混雑だったのでメールにしました。
暑くて大変でしょうが熱中症に気をつけてくださいね!

記事の方も楽しみにしていますが、無理せず上げられる時にアップ
してください。

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