. . .

旧陸軍戸山学校跡地2

2017/10/19 | 投稿者: キャプテンハヤト

Continuation>>
クリックすると元のサイズで表示します

 箱根山 陸軍戸山学校址

 記念碑がありました。確かにここに軍の施設が在ったのですね。

 ちなみに箱根山とは、公園内にある山で、山手線内で一番標高がある44.6mの人造山だそうです。


クリックすると元のサイズで表示します

 碑文が読み辛いので抜粋してみます。
 「この地は、和田戸という武士の館の跡で、源頼朝が源氏の勢ぞろいをした所と伝えられ、後代和田戸山と呼ばれた寛文年間尾張徳川候の下屋敷となり、殿堂宮祠等かずかずの建物と箱根山を中心とし、東海道五十三次に模した風雅な庭園が造成された明治六年その他に兵学寮戸山出張所が設けられ、翌七年陸軍戸山学校と改称されて以来約七十年にわたって、軍事の研究教育が行われ、国軍精強の基を培ったばかりでなく、国民の体育武道射撃音楽の向上に幾多の寄与をした記念すべき地である。この度東京都がこの地に縁の公園を整備されるにあたって、この記念碑を建てて東京都に贈る。 昭和四十二年十一月 元陸軍戸山学校縁故有志一同」


クリックすると元のサイズで表示します

 こちらは、公園整備を記念して、都が設置した寛政年間戸山尾州邸園池全図です。

 現在の公園図と見比べて観ると面白いです。
 図の中央より右側の玉円峰と記載されている山が箱根山だそうです。


クリックすると元のサイズで表示します

 箱根山地区の歴史

 千六百年代は、徳川家の下屋敷で、戸山荘と呼ばれており、廻遊式築山泉水庭で、二十五の景勝地が造られていたそうです。

 ここの歴史は、深くて面白いですね。


クリックすると元のサイズで表示します

 突如、石組の重厚な建物が現れました。色といい、この重圧感は、相当な歴史がある様です。
 そうですここが”戸山学校将校集会所跡”です。

 ここを最初に見た印象は、建築美と言うより、不気味な恐怖を感じました。

 将校達が会議をしていた建物とのことです。
 ごつい窓枠が幾つかあり、塞いである所もあります。
 その脇には古い石段が上がっています。
 奥には、長窓がある円形の部屋もあります。

 将校達は、何の会議をしていたのでしょうか?


クリックすると元のサイズで表示します

 窓を一つ見させて頂きましょう。
 鉄格子柵がされ、硝子窓は屋内が見えない様にされていますので、どうなっているのかは分かりません。

 
クリックすると元のサイズで表示します

 円形の部屋の前の直近に来ました。

 私達がこの場所に近づいた時、威圧感が相当で、早く撮影して離れたいと思いました。

 あの事が脳裏を過ぎります。
 関東軍防疫給水部本部、通称、満州第七三一部隊

 満州で、731部隊長石井四郎軍医は、兵士が戦地で安全に活動出来る様、疫病の予防、衛生的な給水の研究をしていたのですが、それと同時に細菌戦に利用する生物兵器の研究開発もしていました。
 満州人や朝鮮人、中国人の捕虜やスパイ容疑で捕まえた人、浮浪者や子供等(被験者”マルタ”と呼ばれていた。)マルタに色々な菌を投与し、感染させて進行具合を絶命するまで観察したり、手や腕を凍傷にさせて、棒で叩いて粉々にするとか、生きているまま内臓や脳を摘出する、マルタを木に縛って、菌の入った爆弾を近くで破裂させて、感染状況を観る等の悪魔的人体実験をし、開発された生物兵器を実戦で使用したとの事です。
 一説に由ると、人体実験は、医療研究にはあまり必要のない、ただ残忍な事をやっていただけだったとか、マルタの中に日本人もいたと言う話しもあり、身の毛がよだつ悪魔部隊だったんだなと思いました。

 私も少し雑誌や動画を見たのですが、今時のホラー、スプラッター、いやサイコ、猟奇殺人映画を地で行っている様な内容で、気分が悪くなりました。
 詳細を知りたい方はコチラ "Wikipedia・Unit731"


クリックすると元のサイズで表示します

 戸山教会

 集会所の上の部分に白いカトリック様式な建物が建っていますが、集会所を土台にして、キリスト教の教会が建っており、戸山幼稚園にもなっています。

 旧陸軍の建物の上にキリスト教の教会が建っていると言うのも興味深い光景ですね。
 この一帯を安定させ穏やかにしているのでしょうか

 日本軍の中枢だった場所に残った施設の上に態々教会を覆い被せる様に建てたのですから、まるで、アメリカが日本を封印した様にも感じます。
 <<Return Move on>>
2



コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL





AutoPage最新お知らせ