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三島市三ツ谷防空砲台跡

2017/11/12 | 投稿者: キャプテンハヤト

 大戦末期、米軍の本土空襲が日々激しさを増していました、三島市には、中島飛行機谷田工場(現、遺伝学研究所)を始め、幾つかの軍需工場があった事や陸軍野戦重砲兵第二連隊第三連隊の軍事施設等もあり、B29の爆撃から施設を守る為、箱根山に防空砲台の建設が行われました。

 まだ遺構が残っているのかどうかは不明ですが、現地調査に行ってみます。

 現地に到着し、車をUターンさせていたところ、たまたま散歩で通りかかった男性(70代)に件の内容を尋ねてみたところ、運良く、建設に関わったお宅の様で「ああ!あっちこっちにあったぞ、そこに車止めて下りてこいっ」(笑)と言われ、話しを伺うことにしました。


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 三ツ谷新田三ツ谷下
 聴取者宅裏手斜面、歩兵陣地(居住壕)出入り口があった辺り(落盤で消失)

 男性(70後半)談「うちの裏に砲台関係の地下壕があった(一帯が眺められるベランダに案内され聴かせて頂いた。)壕まで細い道が出来ていて、東海道(旧国道)から家の横を通って、裏の急な斜面を下りて行った下に穴の出入口があった。蛇行した長めの穴だった。(崖の上から下を見させてもらったが、確かに急な斜面で、深い藪で下が見えない。行っても良いか聴いたら、今は落盤で道も穴も無くなってる、藪に引っ掛かって落ちたら危ないからダメだと言われ断念。)B29が来ると村人もその地下壕に避難した。岡崎(愛知県岡崎市)から来た服部軍曹率いる部隊が掘削した。(岡崎海軍航空隊だと思われる。)当時、油(石油)が足りなかったので、松の木から油を摂る事になり、松の木を沢山切っていた。部隊が撤退する時、服部さんが松の木で作った俎板を記念に置いて行った、厚さが五センチ位ある立派な俎板だった。ずっととっといてあったんだけど、使い道がなかったんで、処分してしまった、今思えばとっとけば良かった。穴は、数十年前に落盤が起きて(場所を指さしながら)畑に大穴が開いてしまったよ。(埋め戻されて畑になっている。)砲台の方の建設は、服部さんの部隊じゃなかったな。砲台跡は、坂公民館の方に縦穴だけ残っていた、崩れてたからまだあるかどうかだが。”大砲自体を見たかって?う〜ん、私が穴とかに出入りしてた時は...無かった!無かったね。”沼津市の方の山は、岩質だから、崩れないからずっと残っているけど、三島の方は、土質なんで、崩れてしまうから、ここら辺の壕は殆ど残っていないね。B29が富士山目指して、駿河湾に侵入して来て、富士山の手前で、西を空襲するのと東を空襲するのと二手に分かれたんだ、沼津を空襲してから、東海道沿いに(旧国道)焼夷弾を落として、東京方面へ飛んで行くんだ、道に20センチぐらいの黒い塊がメラメラ燃えていたよ、焼夷弾の破片だよ。それと機銃掃射もされたよ、薬莢が道や藁葺屋根に刺さってて、子供ら、私なんかも拾って遊んだよ。B29は、一万メートル上空を飛んでたから、大砲を撃っても弾が届かないと思うよ、だから皆そんなもん撃つなと言ってたね。」


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 この畑の下に地下壕が広がっていました。
 手前辺りが陥没し、大穴が開いてしまったとの事。

 そして、
 西側約440メートルの”墓地の近く”に"市の山防空砲台"があったとの事

 砲を設置する穴は掘ったとのこと。現在は消失。

 23センチカノン砲(高角砲)一門を準備


 そして、そこから北側へ約100メートルの場所にもう一つ砲台がありました。

 清掃をしていた男性(70代)「市の山の上にもなんかあった様だね。(監視哨)あと坂公民館のとこの山ん中に大きい擂鉢状の穴があった、崩れてたから、まだあるかなあ。」


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 そして、この後我々は、驚きのもんを発見するずら〜
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