「陽気なギャングが地球を回す」以来、伊坂幸太郎氏が気になってなりません。
「グラスホッパー」で完全に惚れました。
ということで、図書館で予約の様子をチェックしながら借りております。
・重力ピエロ/伊坂幸太郎・著(新潮社)
ストーリー
連続放火事件の現場に残された謎のグラフィティアート。無意味な言葉の羅列に見える落書きは、一体何を意味するのか。キーワードは、放火と落書きと遺伝子のルール。とある兄弟の物語。
結構
重いテーマでした。主人公泉水の弟、春は母親が暴漢に遭った故にこの世に生を受け、それでも両親は分け隔てなく二人の兄弟を育てます。ピカソの死んだ日に生まれた春は、美術の面で異彩を放ち、アーティストにありがちな繊細な精神を持ちながらも、強靭な意志の力で自らの人生を生きる、天才と狂人の紙一重の危うさを持つ魅力的なキャラクターです。
伊坂幸太郎氏の何に惹かれるか自分なりに考えてみました。彼自身の思想かどうかわかりませんが、登場人物に語らせる様々な
ポリシーが私にはとても共感できることが一つ。前回の「グラスホッパー」では「人間が絶滅しても、悲しむ生き物は地球上にいないだろう」と言わせ、今回も「人間は地球の生物の中でも際立ってグロテスクな異物だ」みたいなことを春に言わせています。私も実は少しそう思っている節がありました。自分自身のことを棚に上げるつもりもないのですが(-_-;人間の欲には限りがなく、周りの生物よりも何よりも自分達の欲望(要はお金)の為に大義名分をうっては様々なものを犠牲にしていく。「人間」と人括りにするのには問題があるかもしれませんし、もちろん素晴らしい人もいます。愛すべき人もいます。でも、人の心の深い淵が時々恐ろしくなるのです。
例えば町中に熊が出たといえば、人の生活の安寧の為に殺害するのも辞さず、もちろん私がその町に住んでいたとしたら、やはり恐ろしいのでなんとかして欲しいと思うので、矛盾といえばそうなのですが、それでも熊やその他の生き物の場所をまず奪ったのは人間ではないかな?なのに、「こんなところにきてしまったのは運が悪かったね、仕方ないのだよ」と言って熊に非があるように排除してしまう。人間ってそんなに偉いのかなあ…と時々思うことがあります。それとは別にあざらし一匹に大騒ぎをしたりして…大根とかもそうですが、なんだかなあ〜と思います。
今、何不自由のない生活を出来ているのも、人類のたゆまぬ努力のお陰なのも分かっているのですが、様々なニュースを聞くと(汚職や捏造や偽造や幼児殺害、暴行事件などなど)うんざりした気分になるのも確か。小説内で語られるちょっと過激な言葉は極論かもしれませんが、私はとても共感してしまうのです。
こういう言葉もありました。「ハンムラビ法典では“眼には眼を”というが、それは“眼をやられたら同じ場所をやり返し、それ以上はするな”という意味で、自粛を促しているのだ。だから、腕を折られたら同じように折られるべきだし、人をバラバラに殺害したのならその罪をあがなうには同じようにバラバラにされるべきだ」と。私も常日頃の壮絶な事件を聞く度に「同じようにされればどんなに辛かったか、痛かったか分かるというものだろうに!」と思っていたので「賛成!」と思わず前のめりになってしまいました(^^;ゞ…が、冤罪や正当防衛やら過剰防衛などの問題を考えると…やはりそう単純な問題ではないのだろうなあ〜と唸りました。こういうことを考える度に「人が人を本当に裁けるのか?」という疑問にいきあたります。
もう一つ、この作家は動物、特に犬が大好きなんだろな!というところでもとても共感してしまいます。物語の端々ににそれが窺われる。今回も春が弁護士や犯罪学者?(忘れた(-_-;)と話している時、「(ある犯罪者が)人を殺害する前の兆候として、猫やら犬を殺していた」と聞き、それまで大人しかったのに突然いきり立ち「それならそいつは死刑だ!!」と喚くシーンがありました。その場に私がいたら一緒に立ち上がって「そうだ!」と叫んでいたかも。そういう点でも凄く共感してしまうのです。単純?(・∀・;しかし、自分より弱いものをいたぶるヤツは地獄におちろ!という信念は今後も変わらないと思います。
話から逸れまくりましたが、読みながら色々考える機会を与えてくれ、その人の考えにちょっと添いながら読んでいけるので、独特な言い回しといい感性といい、のめり込んでしまうのかもしれません。
この話を読んでとても印象に残ったこと。泉水と春のお父さんは凄い度量の人だ!ちょっと泣きそうになってしまいました。(*-_-*)>゛
今日のイラスト(PC作成編)
昔、ペイントで描いた月見ウサギ。