『働かないアリに意義がある』
長谷川 英祐(著)
2010年
メディアファクトリー
☆☆☆☆☆
メディアファクトリー新書の015。サブタイトルは「社会性昆虫の最新知見に学ぶ、集団と個の快適な関係」。表紙カバーには「身につまされる最新生物学」とも。
進化生物学者を名乗る著者による、「真社会性生物」のお話。アリやハチなど社会を形成する昆虫には、単独で暮す生物には決して見られない独特の習性が備わっている。ハチやアリ、シロアリの示す様々な不思議を見ていくことで、「自分自身の遺伝子を残さないような個体の遺伝子が増えていく」不思議(真社会性・利他性の進化)を読み解いていく。
中心となる第1〜5章に序章と終章を加えた全7章構成。アリやハチなど膜翅目の昆虫を中心に、社会性昆虫の見せる不思議な習性(第1章)、司令塔不在のまま効率的なコロニーの運営を実現する仕組み(第2章)、真社会性・利他性の進化を説明する原理(第3章)、フリーライダー問題(第4章)、群れるメリット・デメリット(第5章)、等々と論じていく。「膜翅目の進化」と言えば、まずは「包括適応度」、次に「3/4仮説」、といった教科書的なお決まりのパターンを踏んでいくのかと思いきや、内容のレベルを全く落とさずに、「読み物」としての平易さを実現しているところが凄い。あくまでも一般向けに書かれた本で、くだけた文章が大変読みやすい。長谷川眞理子氏(の新書・文庫)と日高敏隆氏(の新書・文庫)の中間的なテイスト、か。
一般読者を対象とした読み物風の1冊。読み始める前は、アリの示すビックリ仰天の習性を面白可笑しく紹介し、「怠けたい気持ちを抑えきれない」人間の常を(笑いで)正当化してくれるような(「サラリーマン処世術」みたいな)内容の本かと思っていたが、フタを開けてみると「生物進化」を真正面から扱った直球サイエンスの本だった。ときどき、生き物の世界に過度にロマンを見出したり、擬人化した上で無理やり人間社会や個人の生き方に関する教訓を引き出したりする人がいるが(『
ペンギンの教え』(小菅正夫(著) 2009年 講談社)は最悪だった)、著者の態度はそういった路線とは一線を画している。「読み物」としての抜群の面白さで読者のハートを掴んだ後は、進化の論理、社会を作ってしまったが故に生じる複雑さ、個体と社会の利害の対立、等々について「理論編」をグイグイ押し進めていく。進化生物学にとって真社会性生物の謎の本質は「繁殖しない個体が何故進化可能なのか」という問いなのだろう。第3章以降は、この問いに対する理論的解答のロジックを示しながら、読者のもつ素朴な「個体」の概念すら揺さぶっていく。扱われている内容に対する関心の度合いは読者によって様々だろうが、2度、3度と繰り返し読むに値する本、という印象を抱いた。
個人的には、社会性の進化に対する血縁選択説と群選択説の間の論争を整理している部分(第3章)や、(多細胞生物の)個体を社会(群れ)として捉える視点から見えてくる、クローン生殖による「完全な群体」についての議論(第5章)等が面白かった。読者によっては、司令塔が存在せず、情報の共有も行われていないアリのコロニーが様々な課題を並列的・効率的に処理していく仕組み(第2章)と、似たような仕組みによって信頼性を高めているコンピュータ・システムとの原理的共通性に気づき、その意外性にハッとするのではないか。
やや残念なのは、世代間を受け継がれていく遺伝子の流れを図解した図が一様にわかりづらいこと。また、敢えて1つだけ難点を挙げるとすれば、進化(自然選択)の原理・原則についてだけは、更にもう一歩噛み砕いた説明を最初にしておいて欲しかったと思う。進化生物学に親しい人にとっては「いくらなんでもこれくらいで充分だろう」と思うのだろうが、「各個体は自分自身の包括適応度を最大化するように振舞う」といった進化生物学・進化生態学特有の言い回し(一種の「比喩的表現」なんだと思う)を文字通りの意味で受け取ってしまう読者は実際のところかなりいるのではないか(判事・検事・弁護士といった(一般的に「非常に頭が良い」と考えられている)人々が「利己的遺伝子説」を完全に誤解している文章を書いているのを目にしたことがある)。進化というものが「してしまう」ものであるという点をミスしてしまう読者は、著者が思っているより多いのではないかと思う(この点については、かつて長谷川眞理子氏の『
オスとメス=性の不思議』(1993年 講談社)を読んだときにもそう感じた)。
著者は「今すぐ役に立つ」というような研究を行っていない自分自身を「働かないアリ」に見立てている。タイトルでもある「働かないアリの意義」については主に第2章で論じられているが、読み終えるまでは、本書で取り上げられているトピックの中から最もキャッチーな部分を取り出しただけのタイトルのように感じていた。最後まで読んで、人の生き方や社会のあり方、研究者の社会貢献についての著者の考えを示す、本書の内容を象徴するタイトルであることがわかった。
本文180ページ程度。

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