シングルモルト吟醸さんにお奨めいただいた本。
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成り立ちからして不安定な領土構成だったプロイセンは、常に「この不安定な半大国は、消えてなくなってしまうのではないか」という恐怖にかられていた。
だから、力による領土の拡大は、この国家の必然だった。
軍国主義と、その高い税率を可能にするための経済政策、そして経済発展を重視するため当時としては異例ともいえる宗教的寛容。それがプロイセンの特徴だった。啓蒙主義の18世紀にプロイセンが成長したのは、こうした時代と、理性による人工国家というプロイセンの概念が一致していたからだろうと指摘されている。
フリードリッヒ大王からビスマルクまで権謀術数にたけていたという印象だったプロイセンだが、意外なことに、その合間には、国家存亡の危機を体験していた。ナポレオンは、飼い犬に手をかまれた恨みから、プロイセンの分割を提案していたのだ。この時代を収めていたフリードリヒ・ヴィルヘルム3世は控えめな性格で、ナポレオン失脚後もおとなしく、オーストリア・ロシアとの同盟の死守を願い、ドイツ連邦でも慎み深い2番手の地位をよしとした。
1848年、ヨーロッパを吹き荒れた革命。プロイセンにもその嵐は押し寄せたものの、市街戦などを経て革命は鎮圧。
ビスマルクの登場となる。
ビスマルクが「成功しすぎることによってプロイセンに死の接種をしてしまった」という指摘は、新しい視点である。北ドイツへの拡大は望んでいたものの、南ドイツまで含めた統一を急ぎたくなかったビスマルクだったが、国民のフランスへの憎悪をベースに普仏戦争をはじめざるをえず、ドイツ帝国を作らざるをえなくなった。プロイセンは「より強い存在の中に滅びていった」。なぜなら、プロイセンとは理性であり人工国家だったから。民族主義の強い感情や部族としての絆がなかったプロイセンは、ドイツ人としての国民感情の高まりの中で姿を消していったのだ・・・。
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植民地としての始まり、東プロイセンとブランデンブルクを別々に統治していたホーエンツォレルン家の統一への野望、ポーランドとの確執、反マキャベリストであり文化を愛する側面を持ちつつ権力政治や戦争に突き進まざるを得ず自己の中に矛盾を抱えていたというフリードリヒ大王、決して拡大志向ではなくバランス志向だったというビスマルクなどなど、知らなかったことや今まで抱いていたイメージと大きく異なる部分もあり興味深かった。一見堅そうな本なのだけど、実は写真もいっぱいだし読みやすい。★★★★
シングルモルトさん、どうもありがとうございました。
ただ、ビスマルクに対する擁護論については、個人的にはまだ納得はしきれていないかも。ドイツの好戦的な20世紀の歴史はいったいどこから来ているのか。プロイセンだけに責任を押し付けるのはよくないにしても、擁護論だけでは今までの印象は変えられないというのが実感・・・。まぁそういう視点があるということは勉強にはなったけれど。

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