12月5日はグレゴリオ暦で年始から339日目(閏年では340日目)にあたり、年末まであと26日ある。
LOTO6、全滅!
(T_T)
非正規雇用。
年金、社会保険、税金。少子化、消費減退、熟練経験者不足、社会不安増大。
昨夜は、壊れているのでしょいか?外気温が17℃?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%885%E6%97%A5
できごと
1695年(元禄8年10月29日) - 徳川綱吉により生類憐れみの令の一環として、中野に16万坪の犬小屋が作られ、同時に中野の住民が強制退去となる
1904年 - 日露戦争の旅順攻囲戦で日本軍が203高地を占領
1925年 - 高知線(現在の土讃線)高知駅〜土佐山田駅間が開業
1933年 - アメリカ合衆国で憲法修正第21条が施行、これに伴い禁酒法が廃止される
1936年 - ソ連でスターリン憲法制定
1950年 - 朝鮮戦争で中国が平壌を回復
1975年 - アメリカがベトナムから撤退。
1976年 - 第34回衆議院議員総選挙(戦後初の任期満了による総選挙)
1988年 - 中央線東中野駅追突事故
1996年 - 厳島神社、原爆ドームが世界遺産に登録される
1998年 - ジャイアント馬場生前最後の試合
1999年 - タイ王国、バンコク都にバンコク・スカイトレインが開業
2001年 - プロ野球・阪神の野村克也監督が野村沙知代夫人の脱税事件により辞任
2004年 - 関東地方で季節外れの温帯低気圧が接近し、観測史上初の12月の夏日を記録
2005年 - 千葉県の夷隅町、大原町、岬町3町が合併し、いすみ市となる
記念日・年中行事
バミューダトライアングルの日 1945年12月5日に、大西洋上でアメリカ軍機が突然消息をたったことに由来
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E9%A1%9E%E6%86%90%E3%82%8C%E3%81%BF%E3%81%AE%E4%BB%A4
生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい、生類憐令)は江戸時代の元禄期に出された多数のお触れ(法令)のことである。特定の成文法として存在するものではなく、複数のお触れを総称してこのように呼ぶ。「犬」が対象とされていたかのように思われているが、実際には犬だけではなく、猫や鳥、さらには魚類・貝類・虫類などの生き物にまで及んだ。ただ、綱吉が丙戌年生まれの為、特に犬が保護された(綱吉自身犬好きで、100匹の狆犬を飼っていたという)。
一般的に「苛烈な悪法」「天下の悪法」として人々に認識されているが、江戸時代史見直しと共に徳川綱吉治世の見直し論も起こり、この令も再検討されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/203%E9%AB%98%E5%9C%B0
203高地は、中国北東部の遼東半島南端に位置する旅順(現在の大連市旅順口区)にある一丘陵。旧市街地から北西2kmほどのところにある。海抜203メートルであることからこの名が付けられた。
日露戦争ではロシア海軍の基地のあった旅順港を巡る日露の争奪戦による激戦地となったところで、第3軍の司令官として出征した乃木希典の漢詩には音を写して爾霊山(にれいさん)と詠まれた。
現在も中国海軍の軍事施設に含まれており外国人の立ち入りは禁じられてきたが、1990年頃から観光客に開放されるようになった。
日露戦争において、ロシアの旅順艦隊を覆滅するのに失敗した日本海軍の要請により、旅順攻略は必要不可欠なものとなり、日本陸軍が旅順要塞を攻撃した。この高地は当初あまり重要視されなかったが、旅順郊外から旅順港停泊中のロシア艦隊に砲撃しようとする際、弾着を観測する兵を配置するのに最適な場所であると気づいた日本海軍連合艦隊の参謀であった秋山真之少佐(旅順攻囲戦当時)がこの高地を攻略することを進言したことから、この高地は日露戦争の帰趨を決する旅順攻囲戦において重要な鍵を握る場所になった。というのは、203高地からは旅順港が良く見通せたのである。そのため、日本軍とロシア軍の間で争奪戦が行われ、多くの死者を出した。11月にこの戦場に来た日本陸軍第7師団(旭川)はわずか5日間で1万5千人ほどの兵力が1千人にまで減ったことで、その攻撃の凄まじさがうかがえる。防戦側に立ったロシア側の被害も大きく、ありとあらゆる予備兵や臨時に海軍から陸軍へ移された水兵までもがこの高地にて命を落
とした。1904年12月5日に日本軍が占領し、永野修身海軍大尉が指揮した陸上からの砲撃でロシア東洋艦隊を壊滅させた。これ以降、旅順要塞側の抵抗は衰えていき、1905年(明治38年)1月1日、ロシア側の司令官ステッセルは降伏し、旅順を開城することになる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89
ベトナム戦争(1959年 - 1975年)は、インドシナ戦争後に、ベトナムの南北統一をめぐって戦われた戦争である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB
バミューダトライアングル(Bermuda Triangle)は、フロリダ半島の先端と、大西洋にあるプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ三角形の海域。昔から船や飛行機、もしくは、その乗務員のみが消えてしまうという伝説があることで有名。この伝説に基づいて、多くのフィクション小説、映画、漫画などが製作された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%9B%BD%E7%8E%8B
タイにおける国王は仏暦2540年タイ王国憲法(1998年)にて「元首(プラムック)にておわしまします国王」(憲法第2条および第3条)とあり、元首である。
憲法によればその地位は「尊敬し崇拝すべき地位」(第8条)として人民の最高点に立つ人物とされており、「タイ軍の総帥」(第9条)として軍隊の中で最高の階級が与えられ、「仏教徒であり且つ宗教の保護者」(第10条)として宗教界の頂点に立つとされている。一般のタイ国民との大きな違いとして、国王はその行為に対してなんら責を負うことはなく、「何人も問い詰めたり告訴する事は出来ない」(第8条)地位にある。また、仏暦2499年刑法(1956年)の112条(国王、王妃、王位継承者および摂政に対して侮辱、軽蔑、あるいは害をなそうとするものは、3年から15年の禁固刑に処す。)によって国王に対する侮辱には罰則が与えられており、国王は特権的な位置づけがなされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%9E9%E4%B8%96
ラーマ9世(1927年12月5日 - )は、タイ王国のチャクリー王朝の9代目の王で、現タイ国王(在位:1946年 - )。
英語や日本語では一般に長母音を無視し、 King Bhumibol / プミポン国王 とも通称されるが、本来はタイ語においては(称号なども含めて)後ろのアドゥンラヤデートと不可分一体であり、プーミポンだけで呼ばれることはほとんどない。なおプーミポンアドゥンラヤデートとは「大地の力・並ぶ事なき権威」という意味である。
■国民からの敬愛
「王室プロジェクト」と呼ばれる農業を始めとする地方経済の活性化プログラムを自ら指導する他、自ら土地改革運動のために王室の所有地を提供したり、農村開発や干ばつ対策の人工雨等の各種王室プロジェクトを推進している。また、王妃と共に地方視察も非常に精力的に行い、泥濘や雨天の中でも人々の輪の中に積極的に入っていくなど国民に近い立場を取り続けることから、確実にタイ国民の尊敬と信頼を勝ち得た。実際に、毎年誕生日前になると全国各地に肖像画が飾られ、国王の色とされる黄色いシャツを着用した市民で埋め尽くされるほどである。
現在、このようにプーミポン国王がタイで広く非常に尊敬され支持されているのは、学校教育で行われている国王に対する崇拝教育や不敬罪といった強制的なものによるものではない(「不敬罪」は存在こそするものの、実際にタイ国民がこの罪に問われることはほぼ皆無。ただし、スイス人が不敬罪に問われ、結局は国王によって恩赦になった例がある)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E9%8A%80%E8%A1%8C
イスラム銀行は、イスラム(イスラム教)の教義、慣行に基づいて運営される銀行のこと。イスラム教徒(ムスリム)は、シャリーア(イスラム法)において利子を取ることが禁止されているため、基本的に無利子の金融機関として運営される。
イスラムでは、利子(リバーと呼ばれる)を取って金銭を貸すことを禁止するクルアーン(コーラン)の言葉に従って、シャリーアにおいて利子の取得が禁止されている。したがって、理屈の上ではイスラム共同体の間で利子を取る銀行は存在不可能であるため、イスラム圏においては、いわゆるイスラム銀行が各地に存在し、この記事において述べられるような営業を行っている。
ただし注意せねばならないのは、このような業務を行う銀行が誕生したのは近代以降であるという点である。それ以前には、シャリーアにおける利子禁止規定は、ヒヤル(奸計)と呼ばれる抜け穴によって巧みに回避し、実質的には有利子金融が行われていた。そのため、「イスラム社会には無利子金融しか存在しない」と簡単に言ってしまうことはできない。現在でもトルコ・アルバニアなどでは有利子金融が存続している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E6%94%BF
親政(しんせい)とは、君主(国王・皇帝・天皇など)自身が政治を行うこと、またはその政治形態(君主制の一形式)のことである。また君主が幼いなどの理由で摂政、摂政団が置かれた後、君主の成人などによって、独自に政治を取り仕切る場合も親政と言う。
また日本では、上皇が院政をおこなわず、在位の君(現役の天皇)が同時に治天の君として実権を握る状態をもいう(院政の対語)。ただし、日本における親政は『愚管抄』・『神皇正統記』などの歴史書や江戸時代の朱子学及び国学、明治以後の皇国史観に引き継がれた理想像が先行して語られることが多い(明治維新以前の日本の天皇制は在位の君が国家の支配者であるという概念の元に成立していなかったことに注意を要する)。歴史上摂関政治や院政、武家政権などの時代に比べて実際に親政が行われていた期間は長くは無かったことに留意する必要がある。また、延喜天暦の治の時代は摂政・関白が必ずしも常置されていなかった時代であり(藤氏長者が太政官の筆頭の地位にいた)、後醍醐天皇は元々治天の君の資格のない(院政を行う資格のない)中継ぎの天皇であったことなど、親政が必ずしも積極的な動機で行われたとは言い難い場合もあった。
なお君主が自ら軍を率いて戦役を起こすことは親征といわれる。