ハルヲ企画の稽古を2回見学した。
僕なりに感じ入る点が有った。
中でも特に感銘を受けたのはコトリ会議の山本正典氏の芝居に臨む姿勢だ。
柔らかくしなやかで真摯。
基礎体温の高さを秘めつつ、それを決して押し付けがましく放射しない知性。
弱々しい節電エアコンの稽古場で汗だくになって遊ぶ山本正典の姿は、
静かな迫力を伴って僕に語る。
「此処に何しに来てんだ?
遊びに来てんだろ?
だったら全力で遊べよ!
義務やら義理やらシガラミやらで芝居するなら
仕事(労働)と同じか、それ以下だ。」
柔和な笑顔のヤサ男に匕首を突き付けられたような気がした。
・・・追悼公演を終えて以降のくじら企画の在り方に思うところが有った。
・・・7月の公演にも。
7月のハナシが出てからも、どう言って断るか、どう言って降りるか悩んだ。
演目が決まり、心が揺れた。
「4階のコスギ」をオーディションで決めると聞いて、
自分で自分の背中を押せた。
しかし、それは軸足の定まらぬまま、モチベーションの対象を
芝居そのものからオーディションにスリ替えた逃避でしかない。
アタマの中は「4階のコスギ」をどう演るかばかりで、
他の役は引き出しの中身の寄せ集め、新鮮さのカケラも無いルーティンワーク。
僕は芝居の稽古を楽しんでいなかった。
遊べていなかった。
2月1日の稽古で喉を切ったのが、良い証拠だ。
余計な考え、余計なチカラで僕の芝居は汚れていたのだ。
全力で遊ぶ、無垢な魂でなければ説得力のある表現など出来るものか。
僕は間違っていた。
迷ったままの汚れた気持ちを稽古場に持ち込んでいた。
汗にまみれて、足にアザを幾つも作りながら、
硬いリノリュームの床の上を転げ回って「遊ぶ」山本正典の姿が
僕の迷いも甘えも看破した。
僕の芝居に臨む姿勢を糺してくれた。
彼に感謝する。
僕も、彼のように稽古場で全力で遊ぶ。
3つの役を3人の俳優で競うなら、
3つ全部で最高になれば良い。
その上で、誰が「4階のコスギ」を演るかは、演出が決めることだ。
芝居全体を見渡して、最良のカタチを見つけるのは僕の仕事ではない。
3人の勝負には、全部勝つ。
昨夜の稽古は僕の宣戦布告だ。
本気で来いよ。
ケンカしようぜ。