関岡英之氏を読む6
「アングロ・サクソン四百年の大計を相対化する」―――『汎アジア共同体構想』
本ブログで取り上げた
「拒否できない日本」文春新書:著者・関岡 英之さんのインタビュー記事を見つけました。
「日本の息吹」―――“アメリカの日本の改造が進んでいる”―――
:平成17年12月・日本会議:出版
:少し右翼っぽい内容の冊子でしたが、書かれている内容は憂国の一文で考えさせられました。読んでみてください。
『汎アジア共同体構想』
(1)そんな戦略性の長けた相手に我々は―――日本一国では対抗できない。地政学的にも価値観の面でもそれはアジアでしかありえない。
マハテイール前首相が提唱したEACE構想、アジア通貨危機のとき日本が提案したAMF構想、いずれもアメリカに潰されましたが、
続けて出てくる東アジア共同体構想は、中国が東アジアを牛耳るための戦略であることは承知しつつ、これを潰すのではなく、むしろ中国の思惑を逆手にとって、中国包囲網に作り直してしまうくらいのしたたかな戦略性を発揮すべきではないかと思います。
つまり、既に参加を決めたインドに加え西アジアのイスラーム圏をも巻き込み、日本からトルコまで、全アジアを包摂した汎アジア共同体に変容させてしまう、と言うのが私の構想です。
(2)中国とインドは宿命のライバルで、互いに大国意識と文明の発祥の地と言う自負心が過剰で、永遠に相容れない。
最近中国がインドに急接近しているのは、インドの台頭に対する焦りにほかなりません。一方インドはパキスタンとの確執を抱え、イスラーム圏とは相容れない。
中国もまた、国内に新疆のイスラーム問題を抱えている。支那、ヒンドウー、イスラームのアジアの三大文明は三すくみの状態にある。
一見、地域統合は絶望的に見えますが、逆にこのような状況こそ、日本がキャステイング・ヴォートを握れる余地があるのではないかと思います。戦前はアジアの盟主になろうなどという気を起こしたから失敗したのであって、日本には盟主より調整役が似合っている。
島国の人間に海千山千の大陸諸国を牛耳ることなどしょせん無理だと割り切って、アジアの黒子役に徹するほうが得策だと思います。
日本は中国と完全に融和するのは不可能だと思いますが、インドとは何の確執もない。むしろ戦前、玄洋社の頭山満翁や新宿中村屋とビハリ・ボースの関係や
戦後、東京裁判のラダビノッド・パル判事を通じた深い精神的紐帯がある。
(3)一方、自衛隊のイラク派遣で、今の日本が対米従属国そのものであることが露見し、イスラーム圏では日本への失望感が急速に拡大していますが、
それ以前は、イスラーム圏は世界で最も親日感情の強い地域だったのです。
私は以前イランを旅行したとき、通りすがりの現地人に突然自宅に招かれ、食事をご馳走になったんですがその人たちが日露戦争はともかく、元寇まで知っていることを聞いて驚いたんです。なぜ知っているかというと、イランはイル汗国の時代にモンゴルに支配された苦い歴史があるからです。
「日本は元寇であのモンゴル帝国を打ち払い、日露戦争で帝政ロシアを打ち破り、アメリカとも互角に戦った。最後は負けてしまったが、それはアメリカが原爆という非人道的で卑劣な手段を使ったからだ。日本は資源もない小さな島国だが、武勇の国、もののふの国だ。しかも我々イスラーム教徒を一度も迫害したことがない」と、こういうんですね。
イスラーム圏を旅行するとときとしてそうした熱烈な親愛と尊敬の念に満ち溢れた眼差しに囲まれて当惑するほどです。
残念なのは、そうしたイスラーム圏の親日感情の強さを、ほとんどの日本人が知らないことです。
(4)日本に入ってくるイスラーム報道はアメリカ経由のゆがめられたものが多いため、テロのイメージや好戦的で前近代的宗教に固執する人々という、ネガテイブな先入観を抱いている人が少なくないのではないか。私がイスラーム圏との連携などと言ってもピンとこない人が多いと思います。しかし戦前日本のアジア主義者たちはそうではなかった。
こんにち、アジア主義などと口にすると、すぐこいつは反米親中かなどと短絡する人がいますが、とんでもない不見識です。中国と十五年戦争を闘っている時代のアジア主義です。
戦前のアジア主義とは、日本が東南アジアやインド、さらにはイスラーム圏とも連携し、対中包囲網を構築する。そうして中国の拡張主義を押さえ込みながら、同時に白人の植民地主義者をアジアから叩き出し、アジア人のためのアジアを復興する、そういう気宇壮大な世界ヴィジョンだったのです。
例えば大川周明は戦前、インドの反英独立運動を支援していたし、戦後、巣鴨プリズンに収監中にアラビア語原典からコーランを邦訳するほどイスラームに造詣が深かった。
戦前の日本人は米英に迎合せず、中国にもおもねらず、全アジアを視野に入れた世界認識を持っていた人々がいた。
親米反中か、反米親中か、などという単純極まりない二者択一的思考から今だに脱却できない人が少なくない現在の日本人のほうが、戦前よりよほど視野が狭窄になっているのではないか。そんな人に外交を論じて欲しくない。
もともとアジアはアラビア半島、インド洋、東南アジアから東シナ海までが一体となって交流していた。それがバラバラに分断されたのは、欧米帝国主義がアジアに侵略するようになって以降のことです。欧米諸国、特にアメリカが一番恐れているのは、アジア人が大同団結することなのです。白人社会には黄禍論といって、黄色人種に対する不信と警戒感が、地下水脈のようにずっと伏流し、何かのきっかけで噴出するのです。
日米通商摩擦のときのジャパン・バッシングがそうでしたし、昨今のイスラーム教徒に対する不信や中国に対する警戒感も同根です。「儒教・イスラーム・コネクション」に対する警戒を喚起したサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』はまさに装いを新たに登場した黄禍論で、アメリカ白人社会の究極の本音が表出したものではないかと私は見ております。
(5)戦前の大東亜共栄圏構想が失敗したのは、連携しようとしたアジアの同胞たちが当時はまだ弱体だったという歴史的制約が大きな要因です。インドは大英帝国の植民地でしたし、イスラーム圏は英仏によって分割統治されていた。しかしいまやインドは隆々たる経済大国となり、アメリカと中国が競って秋波を送るほど、国際政治上重要な一角を占めるにいたっている。
一方、イスラーム諸国は宗教的一体感によって連帯を強め、また石油と天然ガスという戦略物質を握っている。
しかしイスラーム圏は、盟主サウジアラビアさえアメリカの同盟国であるにもかかわらず、WTOへの加盟が認められていないし、イランやシリアに至ってはさらに不当な扱いを受けているなど、アングロ・サクソンの世界システムから意図的に排除されている。イスラーム圏で反米感情が高いのも当然という気がする。
イスラーム圏は、もしもアングロ・サクソン主導の世界秩序に代替するものがあれば積極的に加わりたいと言う強いモチベーションを持っています。今こそ、強固な汎アジア共同体を組成する機が熟したと見るべきではないでしょうか。
多神教の神道、道教、ヒンドゥーと一神教のイスラームが共存できるのかと、疑問に思われる向きもあるかもしれませんが、私はアジアをひとつに束ねるものはあると考えます。それは集団主義的な価値観です。アジアの集団主義的、共同体的価値観こそ、アングロ・サクソン流の個人主義的価値観に対峙しうる唯一の対抗軸になりうるのではないか、と思います。
荒唐無稽と言われるかもしれませんが、はたしてこれ以外に日本がアングロ・サクソン4百年の大計に抗しつつ、民族としての独立自尊を護持していけるようなヴィジョンがあるでしょうか。
(平成17年10月13日インタビュー)
<意見>
この印刷物をほんとうに、偶然、手にしました。さらに、読んだ覚えのある関岡さんの名前がありましたので、内容をブログに書こうと考えました。
始めは抜粋してと考えていましたが、一部を除いて、ほぼ原文に近い形で載せました。読んでみてください。
著者の独特の切り口から、過去の遺物と思われる、大東亜共栄圏がここに来て新しい視点という気がしました。この考え方の広がりに勇気づけられる気がします。いろんな国が助け合い尊敬しあって生きて行く、これも有りかなと考えます。
<おしまい>

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