沖縄高文連文芸図書専門部等umenomさんのブログから引用しました。
http://air.ap.teacup.com/koukoubungei/
これはと思われた事を取り上げてくださる。まるでリーダーズ・ダイジェストか、そんな出版物がありましたね。
2008/06/04:「世に倦む日々」の中から鶴見俊輔の講演の話が紹介されていました。
親やその周りに政治家が居てその話を聞いているうちに、彼らがどの程度の判断力を持つのか見抜いていたという少年がいた。そして今、安部政権の時のその取り巻きのバカ殿の面々と話が続く。沖縄の歴史を振り返っていて、世の中をリードする人たちがつまらない事にこだわり、いつまでも平和な世の中を作るという一点がこんなに難しいものかと思った。
ここに取り上げている話題と重ねて読んでみると、一般国民が賢くならないと、政治家は世襲制を作り上げ、バカ殿を並べ、そのうち戦争を始めるに違いないと思いました。
2008/06/02:玉那覇さん俳句全国一
読谷の風といたしましてはここに残しておきたいので…。
1万3000点の頂点2008年5月29日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-132591-storytopic-7.html
【読谷】県立読谷高校2年生の玉那覇あいかさん(16)=読谷村=が第25回全国児童生徒俳句大会(主催・同実行委員会など)で、最高の久留島賞に輝いた。全国からの応募1万3000点余の中から頂点に輝いた。玉那覇さんの受賞作品は
「向日葵(ひまわり)を 見習いいつも 上を向く」。
1年生の夏に作り、4月下旬に朗報が届いた。久留島賞の受賞は県内で、3人目で読谷高校からは2人目。 玉那覇さんは
「ヒマワリが前から好きだった。家の周りに冬になってもいっぱい咲いている。前向きな気持ちを表現した」と話している。指導した仲間知江子教諭は「ほかの作品が技巧的な中、素直で素朴なところが評価されたのではないか」と話している。
有銘清校長は「素直な生徒が多く、あいさつもきちんとする。日ごろの生活態度の表れ」と受賞を喜んだ。
玉那覇さんは応募していたことも忘れていたため、受賞の知らせを聞いて家族も驚いたという。玉那覇さんは「今後は部活のバドミントン、勉強に頑張りたい」と話している。
同大会は、大分県玖珠町が生んだ口演童話作家・故久留島武彦氏にちなんで設けられた。俳句を通して自然に親しみ、感性豊かな子どもたちの育成を目的に1984年から始まった。
08/05/25:沖縄の米軍基地、笑いとばしてみる 若手芸人、真剣勝負
http://www.asahi.com/national/update/0524/TKY200805240218.html
「さて今日は、沖縄が独り占めしてきた米軍基地を、特別価格でお届けします。普天間がたったの7千億円!」
「えっ社長、そんなにお安くしていいんですか」
「今回だけの特別ご奉仕! それになんと、輸送機に海兵隊6千人までつけちゃいます。送料だって、税金負担!」
爆笑の渦を暗闇の観客席に残して、テレビ通販社長に扮した小波津正光(こはつ・まさみつ)(33)が舞台のそでに消えた。額に汗の玉が光る。目は笑っていない。今月11日、東京・四谷区民ホール。どこまで基地のギャグが通じるのか。沖縄の若者集団「お笑い米軍基地」が真剣勝負を続けて4年目だ。
東京では、売れない芸人だった。琉球大を卒業後、地元で漫才コンビとして活躍した後に上京。風呂なし4畳半、家賃2万円のアパートで妻と暮らしながら、月に4度のライブに立った。
何をやっても受けなかった。町をあげての甲子園応援。風速50メートルの台風のすさまじさ。面白おかしく沖縄ネタを演じても、だれも笑わない。言葉も生活感覚も違う。まして沖縄戦や基地のことなど、まるで通じない。たった5人の客席に向かって、「何でわからんば。笑えー」と心の中で叫んだこともあった。
「ヘリが落ちたぞ」。転機は04年8月13日、30歳の誕生日にやってきた。普天間飛行場に隣接する沖縄国際大に、大型米軍ヘリが墜落。あわや大惨事の事故を、友人からの電話で知った。
だが翌朝の東京紙は、アテネ五輪開幕の記事で埋められ、事故は小さな扱いだった。その日、準備していたネタを捨て、大々的に墜落を報じる沖縄紙を手に舞台に立った。
「沖縄、大変なことになってるよー。アテネでは聖火が燃えてるが、沖縄ではヘリが燃えてるばーよー」
おまえら、ちゃんと見ろ。新聞を手に客席を走り回ったが、小波津が真剣になるほど、笑いの渦は広がった。
「米軍基地を正面からお笑いにしたい」。その年、沖縄のお笑い集団FECの仲間は、小波津の大胆な提案に戸惑った。
「客の一人でも、『それは違うだろ』といって席を立ったら、もうおしまいだ」。最年長の崎濱秀彰(37)は案じた。容認でも反対でも、基地は沖縄の死活にかかわる問題だ。これまでだれも、お笑いにしたことはない。
FEC社長の山城智二(36)は思った。「世間の関心は薄れた。まともに基地を論じても取り合ってもらえない。反対運動も行き詰まり、あきらめ感だけが募っている。基地を笑いとばそう」
翌年、小波津が脚本を書き、FECが演じる「お笑い米軍基地」を旗揚げした。
賞金クイズ番組をまねて、司会が地元首長に基地受け入れを迫るコント。米軍出身のビリー隊長が軍隊式エクササイズをしながら、「少し疲れていませんか」と反対派に体操をさせるコント。崎濱の心配に反して、大受けだった。
「いつもの笑いじゃない。ウチナーンチュ(沖縄人)が心にたまったものを、笑いではき出しているみたいだ」
大田享(28)は初舞台でそう感じた。
仲間14人の大半は復帰後世代だ。しかし県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦の影は、彼らにも及んでいる。小波津の母方の曽祖父母は、本島南部で戦火に命を失った。仲座健太(32)の父は幼児の時に右足親指に銃弾を受けた。金城博之(35)の母チエ子(69)は、生まれ育ったマリアナ諸島テニアン島で、父親の腕を貫通した米軍の銃弾が、抱かれた3歳の弟の命を奪うのを目の前で見た。

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