復帰以後7
高等学校歴史読本:
「琉球・沖縄史」 新城俊昭著(編集工房・東洋企画出版)から引用
歴史を探求する
復帰後、なぜ米兵の交通事故が多発したのか
1)1978年7月30日(7・30=ナナサンマル)、復帰の制度上の総仕上げとして交通方法が変更された。準備期間5年、総額400億円余かけた大事業であった。
交通指導は県外から応援派遣2800人を含む4200人の警察官で行なわれたが、事故続発で交通方法変更は混乱し、大きな騒ぎをまきおこした。実施後一週間での事故発生は、人身事故40件余、物損事故520件余。7・30当日の夕刊の見出しは「事故続発、多難な幕あけ」となっていた。その後、交通死亡事故は減少したが、それは交通方法変更という緊張感がもたらした抑止効果によるものであった。
7・30により沖縄は、交通法規の異なる米国からやってきた軍隊と生活を共にすることになった。当然、米軍関係者による交通事故の割合が高くなることが予測された。にもかかわらず、ナナマルサンの経験は米軍の交通指導には生かされなかった。新たな基地被害として加わったのである。
県の基地対策室によると、米兵が起こす年間1000件もの事件・事故の9割は交通事故だという。だが、今日までそのことが社会問題になったことがなかった。
2)きちんとしたデータではないが、米兵による交通事故は、正面衝突や右折での事故が多いという。いまや多発するこのような米軍関係の交通事故を見過ごすわけには行かない。
沖縄は交通方法変更という貴重な体験をした。県警はその実績をもとに、日本に駐留する米軍に対し、米軍関係者が起こした交通事故の実態を分析し、米兵の交通事故を未然に防ぐための方策を示すべきであろう。それをもとに、米兵に交通法規の講習・実技を行い、運転免許試験を義務付けるよう提言すべきである。もちろん米兵による交通事故は、法規の違いだけが原因ではない。日米地位協定で、特権・優遇・例外措置を設けていることも大きい。
3)米軍は基地内でははたらく日本人に対しては、パスカードと、一億円以上の任意自動車保険証の提示を義務付けている。異国に駐留する合衆国軍隊が、不慮の交通事故から米兵をまもるためにとりいれたシステムである。米兵は幸せだ、国家が後ろ盾になってくれている。では、異国の軍隊をかかえているわが国は、どのような対策を講じてかれらが起こす事故からわれわれの生命・財産を守っているのだろうか。残念ながら無策である。米軍も、交通方法の違いを軽視し、米兵への運転技能の指導や任意保険への加入指導を徹底してこなかった。日本人の人権を無視した、差別的な処遇といわざるを得ない。<*11>
4)1995年9月に起こった米兵による少女暴行事件は、地位協定の不平等性を露呈し、公務外の不法行為については米軍に責任がないことなどを明らかにした。米軍関係者が起こす事件・事故の8割は公務外である。これを「加害者個人の責任だ」として、被害者に十分な補償をしてこなかった。そのため、多くの被害者が“泣き寝入り”させられてきた。
安保を優先させ、国民に犠牲を強いり、不安をいだかせてきた政府の責任は重大である。<*12>
5)米軍は、日米安保条約に基づいて日本に駐留しており、米軍人・軍属による不法行為は公務外といえども、「日本への駐留という職務を果たす過程で生ずるものであり、米軍の駐留にともなって発生する構造的・制度的なものである(沖縄人権協会)」。従って、米軍関係者がおこした事件・事故については、公務中・公務外を問わず、日米両政府が責任をもって補償すべきである。
多発する米兵の交通事故や不法行為を防ぐためにも、政府は国民の立場に立って早急に地位協定を見直さなければならない。 新城俊昭著『夕陽の証言』(1995年)より
<*11>:在日米軍司令部は、1997年1月から、日本に駐留するすべての軍人・軍属とその家族に、任意の自動車保険に入ることを義務付けた。また、軍用車両にナンバープレートをつける事も義務付けた。
<*12>:SACO【=沖縄に関する特別行動委員会(SACO)】の最終報告で、日米地位協定18条6項(公務外の事故や犯罪に起因する)の損害賠償を、実質的に日本政府が肩代わりすることを(日米安全保障協議会で合意)発表した。

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