ふと自分の立ち位置を確かめたくなった。同じく歴史書を読みながら考えてみたい。
1879年である。逆算すると約130年祖父の、祖父の時代である。遠いけどそこに私のルーツがあると思う。
高等学校歴史読本:
「琉球・沖縄史」 新城俊昭著(編集工房・東洋企画出版)から引用
沖縄県政のはじめ
T沖縄県民は世替わりをどのようにうけとめたのか
―――旧慣温存策と沖縄県政
旧慣温存策:1879年4月、廃藩置県が断行されて沖縄県が設置されると、中央政府から初代県令として(のちに県知事)鍋島直彬(なべしまなおよし)<*1>が任命された。沖縄県政のはじめ、いわゆる大和世(ヤマトユー)への世替わりである。
県政を統括する県庁は那覇におかれ、県庁職員は他府県出身者で占められていた<*2>。従来の身分制度も廃止され、王と王子は華族、按司以下の士(サムレー)は士族、百姓は平民に編入された。
中央政府の県に対する当面の方針は、「沖縄は日本の国内であっても本土から遠隔の地にあり、おのずから民族の歴史や生活習慣、行事などが異なる」と言う理由で、古い制度をそのまま残し、急激な改革はひかえるという政策であった。これを旧慣温存策という。
<*1>:肥前・佐賀藩支藩の鹿島藩主で、幕末には公武合体策を献策し、戊辰戦争でも兵を率いて京都にのぼった。版籍奉還によって知事となった。廃藩置県後は、米国留学を経験したのち政府に仕え、37歳の若さで初代沖縄県令となった。
<*2>:警察部門を除く県庁職員100名余のうち、沖縄県人はわずか
24人にすぎなかった。また、警察は鹿児島県出身者が、行政は長崎県出身者が多く、両藩の藩閥的色彩が濃かった。

0