沖縄県政のはじめ2
高等学校歴史読本:
「琉球・沖縄史」 新城俊昭著(編集工房・東洋企画出版)から引用
旧慣とは具体的には土地制度・租税制度・地方制度のことをいう。これをそのままのこした歴史的背景は、第一に、廃藩置県の断行によっておこった旧支配層の反発を避けること、とくに清国への亡命者によって刺激された中国との紛争を避けること、第二に、明治14年の政変による国内の動揺で、中央政府は沖縄統治について具体的な政策をうちだす余裕がなかったこと、第三に、古い税制をそのままのこしておいたほうが政府にとっては経済的利益が大きかったこと、などであった。つまり、旧慣をそのままのこして沖縄を統治した方が、明治政府にとっては都合が良かったのである。<*3>この旧慣温存策こそが、沖縄の近代化を立ち遅らせた大きな要因であった。<*4>
世替わりの混迷のただなかで県政を担当した初代県令の鍋島は、急激な改革は避けつつも、教育と産業の振興には力を入れた。教育については「言語や風俗を日本本土と同一にすることが、当県の施政上もっとも急務である」として、学校の設立をすすめた。産業では、糖業にもっとも力を入れて保護奨励した。しかし、旧支配層の新政府への抵抗や、当時、流行していたコレラに罹患(うかん)したことなどもあって、その目的を達成することなく2年余で県令を辞職した。
<本文中の注・*3>:安良城盛昭は、政府は廃藩当初から旧慣温存策をうちだしていたのではなく、明治14年の政変や中国との対外的な問題などから、結果的に旧慣は温存されたのである、という説を提起している。また、旧慣温存による明治政府の経済的利益もなかったとしている。このように、旧慣温存に対する政府の方針や内容については、異なった見解がある(安良城・西里論争)。本書では、従来の説をおもに記載した。
<*4>:1882年以降の松方デフレでは、沖縄は旧慣温存下にあったため、その収奪から逃れることができた。
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松方デフレ(まつかたでふれ)とは、西南戦争による戦費調達で生じたインフレーションを解消しようと、大蔵卿松方正義が行った、デフレーション誘導の財政政策のことである。松方財政(まつかたざいせい)とも。
西南戦争の戦費調達のために不換紙幣が濫発された事によって、戦争後に大規模なインフレーションが発生していた。当時の大蔵卿大隈重信は、このインフレーションの原因を経済の実態は紙幣流通量に近く、正貨である銀貨が不足しているだけだと考えて、「積極財政」を維持して外債を発行してそこで得た銀貨を市場に流して不換紙幣を回収すれば安定すると主張した(大隈財政)。一方、次官たる大蔵大輔の松方は単に明治維新以来の政府財政の膨張がインフレーションの根本原因であって不換紙幣回収こそが唯一の解決策であると唱えた。松方の主張は長年財政に携わってきた大隈の財政政策を根幹から否定するものであり、大隈の激怒を買う。この対立を憂慮した伊藤博文が松方を内務卿に抜擢するという形で財政部門から切り離して一旦は事態収拾を図った。ところが、1881年の「明治十四年の政変」で大隈が政府から追放されると、松方が大蔵卿に任命されてインフレーション対策の責任者となる。

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