戸塚神父のお墓
週に何度か関口教会のルルドの前までミニ自転車で走る。環境計測と健康のためのエクササイズのためである。関口教会のルルドはフランスの現地の洞窟をそっくりに再現したもののようである。
この場所で戸塚神父が満州事変で日本が戦争の方向に動き始めた時、信者を集めて平和を訴えたということを思い出した。当時教会は日本国のために献金し飛行機を贈ろうとか運動をさかんに進めていた。戦争のために協力する事ではなく平和のために祈りましょうと呼びかけたのでした。
1858年、ルルドで貧しい少女ベルナデッタにマリア様が現れた。彼女を通じて、全世界の人に訴えられたのが、人々の悔い改めと世界平和を祈ることであった。今の世の中も同じで、暗い話題ばかりで、平和を祈らないと、いつか来た道へ転がりそうで心配である。
お墓参りというと大げさである。戸塚文卿神父様の著書を読んでいる。師の伝記の中に墓地の写真があった。とても小さいものであるらしい。一度見たいと思った。
初めは写真から、桜町病院の一角にでもあるのかと思っていた。病院でシスターに聞いて府中のカトリック墓地にあるということが分かった。
お天気と暇を見つけて行くことにした。それが12月19日(土)の午後である。ぽかぽか陽気の中、歩きに歩きました。わが学園の強歩会くらい歩いた。少し迷い、未知の世界を歩いているような楽しさを感じながら、いくつもの発見をして、目的の場所に行き着きました。
入口に小さな教会その脇に事務所と花屋さんがありました。高さ180cmのフェンスで囲まれた、80m×200m位の広さでした。北側に入口、駐車場と教会があり、そこから南方向に広がっている。
いきなり飛び込んでは見つけることもままならないと判断、事務所で「教えてください」とお願いした。戸塚文卿神父というとすぐ分かると思いきや、事務所の男性には分からない、向かい側にいた花屋の女性が
「戸塚神父は東京教区よ」と教えてくれた。
案内されたところは教会のすぐ隣の一角で、正面に復活のキリスト像がありその右左に立っているクロミカゲの石碑に神父様方のお名前が刻まれている。ちょうど西に傾き始めた太陽の光を後ろから受け、キリスト像も石碑も逆光の中にある。見えにくいが、戸塚文卿神父様の名前もありました。
そのほかに岩下壮一神父様、土井枢機卿など偉い神父様方も同じ場所でした。
ふと、司馬遼太郎の作品「柿本人麻呂」はそのお墓から描写が始まったのを思い出した。私にとって、戸塚文卿神父様の伝記を想像するには十分でした。

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