教員養成2
あまり自分の宣伝めいたことは得意ではないので、サラリと書かせていただいて終わりにしたい。
(2−1)私費留学で、大学院で勉強がしたいというのは、教師としての希望であった。修士課程で終わって帰沖することもありと考えたけど、2年勉強してみて、今後、二度と同じチャンスはないと判断できた。そこで、そのまま博士課程まで継続することを念頭に、進学試験を受けパスしたわけである。
この時点で、最初に所属校を通じて沖縄県教育委員会に出した申請と内容が変ったことになる。休職の資格が停止になる可能性もあると考えた。
急いで、沖縄まで行って、所属校に改めての事情説明にうかがった。所属校の校長はすでに新しい方に代わり、私の事情説明を受けて、発した言葉は“やんわりと退職の勧め”であった。
私が進学した経緯は知らなかったであろう。その時点で、私は、その校長に補充教員の手当てを考え続けなければならない重荷を作り出した当の主であったのだ。さらに、この後、博士課程に進学となって目の前に現れたのであるから、校長は複雑な心境であったと思う。
後に、県教委におられた比嘉 隆先生に聞いたのだが、県として博士課程に進学するとき、「休職を延長する前例」もあったそうである。私の場合、校長は、申請する前に、個人的な判断をしたようであるが、当人としては知るよしもなかった。
とにかく3歳の息子が小学校に上がるまでに自分のやりたいだけの勉強をさせてもらった。日本育英会の奨学金がもらえたとは言え、決して楽ではなかった。許してくれた家族に感謝である。
(2−2)上智大学大学院理工学研究科で博士課程への進学を決め、研究が始まった。修士との違いは、修士は大風呂敷を広げて、結論はまあまあでも済むのであるが、博士課程は、まず論文検索、世界の誰も手がけたことないテーマで、誰よりも先に一つの結論に至ることが求められた。
「草津白根火山の火山ガスの分布とその特性について」の論文をまとめたのであった。
この博士課程の精神はその後、博士号を取った後(すなわち現在)にも継続するのである。
ここ10年以上、任意に教師仲間で研究会を立ち上げ、研究会を続けているが、修士課程、博士課程を出られた方々を含め、今でもその精神で動いている。これが大切であろうと思っている。
<おわり>
関係ないが―――<わが社の情況>―――
(1)先週まで1〜2クラスの閉鎖があったが、現在は閉鎖学級はない。中学生は元気で走り回っている。
(2)中間試験の最後の2日間は高1がインフルで学年閉鎖。
(3)高2はテスト中は頑張っていた。やはり体力あるねえと感心していたのだが、ここに来て昨日までに2クラス、とうとう今日から学年閉鎖となった。今週土曜日まで、この学年は授業がなくなった。
必修・化学の授業が1時間消える。「痛いなあ!」本音です。

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