ガイドブックにのっていた「医食同源の考え方で、沖縄の食材を自ら仕入れ料理する女将の手料理の朝食、遠くからここの食事を食べるだけの人も訪れる」というこのフレーズに、ひねくれものの食道楽の私がひっかかって年末からの沖縄への旅を決めた。普段ばたばたと忙しく過ごしている分、正月はぼ〜っと海を見て過ごすのもいいのかも知れない。いや、寒がりの連れ合いは体感温度1度でも温かいところへの逃避を願っているようだ。とまあ、いろいろ言い訳をしながらインターネットを駆使して旅の予定をたてた。
旅のはじまりの2日間はそこそこ世界遺産のグスク(城跡)をめぐり、断崖絶壁で風にふきとばされそうになりながら海を覗き込み、ふきガラスつくりなどをしながら、旅を楽しんだ。
そして3泊目がこの古ぼけた、義理にもきれいとは言えない古いホテルだった。
えっ!ここ?とタクシーを降りて連れ合いが絶句した。私はいつもバックパッカーをめざしたいほうだから、それなりに平気だが、たまの旅行はアメニティを追及したい連れ合いには確かにショックだったかも。壁ははげおち、屋根はかしいでいるように見える。裏側丸見えで、ビールのあきびんやら古びた材木が積んである。
そこがまさしくそうであった。沖縄第一ホテル。迎えられて中に入ると、クロークのガラステーブルに小さい写真がいっぱい入っている。見るともなしに見ていると、あら、筑紫さんだ。先週新井さんのライブでお目にかかったばかりの。永六輔さん、加藤登紀子さん、それに誰やら顔は知っているような気がするが、名前を知らない文化人の人の写真。もしや、新井英一さんは?と探したが、これはなかった!「ひとつながりのかたがいらしているんですねぇ」というと、「そうなんですよ、次から次と」とカウンターの中の若主人は答えられる。
それに、な、なんと、大江健三郎さんの写真。へ〜〜あの大江先生もこの古ボケホテル(失礼!)に??聞くところによると、小説を書きにこもられる、とか。
もうひとつ、「どこか島唄のライブをやっていてご飯もおいしいとこがあったら紹介してほしいんだけど」と聞いたら、「いま一人、島唄のかたがもうちょっとでいらっしゃるから聞いてあげましょう。」とすぐ電話をかけてくれたが、相手はあの島唄の名手知念定夫さんであるらしい。あるツアーに呼ばれていらっしゃるのだけどここで待っていらっしゃれば、もう少しでいらっしゃるから、直接お聞きなさい、と若主人。
ひゃぁ、そんなことあっていいの?
しかし、連れ合いはもう限界。
今日は外へ出てゆっくり飯を食おう、そんな人待っていられない。国際通りの飲み屋に、さあさ、出かけるよ〜〜ん。んもう、もちょっとで知念さんと知り合えるチャンスだったのに。
部屋へ通されて、さらに驚いた。なんだか上の部屋の宿泊客は子供づれらしく、ど〜〜んど〜〜んと大きな音をたててベッドの上で飛び跳ねている様子。お風呂は、とみると、昔団地住まいだったころ我が家にもあった60年代の団地サイズのお風呂。ひゃ〜〜
まいったな、こりゃあ。暖房はちっとも効いてこない。芭蕉布を張ったスタンドはすてきだけど、電気がつかない、テレビは100円を投じて見るタイプだぁ。
しかし、である。翌朝の朝食は聞きしにまさるすばらしいものであった。
惜しげもなく琉球漆器、琉球ガラス器、壷屋焼きの器に、へちまや田芋、長命草、ぱぱいや、紫芋、ドラゴンフルーツなどのほか、名もしらぬ沖縄野菜を中心に島マースと呼ばれる真塩と沖縄の醤油による味付けの、舌にやさしい食事が20種類ほど並んでいた。ごぼうは柔らかく、昆布は味をしっかり保って姿も美しく、お雑煮の出しはこっくりとまろやかで、食を仕事とする私には参考になることばかりであった。途中顔を見せ自ら食器を下げられる老女が、このホテルの女将、島袋さんであるらしい。
決してこびず、どちらかというと愛想がいいとはお世辞にも言えない威厳のある表情。
いろいろ食材のことについて聞いてみたいが、なぜかそれを拒否するように無口だ。
やっと、「どれもおいしく頂戴しました」というと、「有難うございます。光栄です」と
低いが存在感を感じる声で答えられた。驚いたことに、他へ宿泊した方で朝食だけを食べにこられる方があるようで、朝食は8時、9時、10時と3段階のお客であふれていた。
このホテルはいつまで健在だろうか。またこのホテルを利用する日があるかな、とふと思った。多分、宿泊させる施設は老朽化し、手直しをするにはお金がかかりすぎるから
食事だけを取る場所として続けていくのかな。しかし、余計なサービスのない、客にこびない姿勢、人と人の出会いを、構えることなく作り出していくさりげなさは、なかなかのものだ。大江先生ほか、ひとひねりしている文化人が、他にはないサービスを求めて泊まられるのも解るような気がした。
文句をいった連れ合いは、夜中に目覚めることもなくぐっすりと朝まで眠ったようだし、
私も田舎の家に帰ったように、少し重たい布団の中でぐっすり眠った。結果オーライだ。
とすると、この宿に泊まることを目玉にしたこの旅も成功かもね。
ジャンボ機が飛び立つ那覇空港のかなたに沖縄の町が小さく小さくなっていった。
ひめゆり資料館を出る時、泣きだしたいような深い悲しみを覚えたのをふと思い出した。琉球王朝の時代を経、地上戦があり、たくさんの人が死んでいったところ、そして、基地を持つオキナワ。楽しかっただけでなく、たくさんのことを考えさせられたオキナワへ、いつか又来たい。すでにオキナワにはまってしまったかな?