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サヨナラだけが人生だ

1992年6月に尊敬していた叔父が亡くなった。20年も前のことになる。

叔父は、私の父の一番下の妹の夫、つまり私には義理の叔父である。当時、彼は58歳、現在健在ならば78歳となる。優秀なエンジニアで一流会社に勤め退職まであと2年というところだった。叔父は、退職したら日本中を旅し、山に登り、仕事で疲れた心と体を癒したいと言っていた。叔父の仕事は、自然環境を破壊する方に手を貸す分野の仕事であり、それに少なからず心を痛めていたようだった。

会うと文学の話もしたが、最近聞いた音楽の話が多かった。それは時には喜多郎だったり、バッハだったり、モーツアルトだった。


病に倒れた叔父に、亡くなる一月程前に私はお見舞いの手紙を出した。すると、こんな手紙が来た。

「文学系の君とは違う分野で生きてきたが、山とモーツアルトを愛し、詩を愛する点では響きあうものがあるように思っている。私の命はもう長くはないらしい。今、中国の詩人のこの言葉が繰り返し心を巡っている。
 
    サヨナラだけが人生だ

詩人の名は干武陵(うぶりょう)、日本語訳は井伏鱒二です」

死を目の前にした詩の言葉は、悲しい言葉だった。死と詩は近いものかもしれないと思った。しかし、そうは思っても60にも満たない叔父の人生を少しでも長引かせる術を私は持たなかった。まだ、6月初旬だというのに、東京郊外の叔父の住む町で行われた葬儀の日は随分と暑かった。

叔父の死から20年が経過した今年の夏、旭川の友人で古本屋をやっているOさんから井伏鱒二の
「厄除け詩集」
という函入りの和綴じの本を手に入れた。井伏自身の詩作品と、中国の詩人たちの詩を井伏が自由な感性で訳したものが集められた詩集である。なんと冒頭には井伏鱒二自身の署名が入っている稀覯本である。
 この中に干武陵(うぶりょう)の

「勧酒」

という詩があった。友情と波乱万丈の人生を短い詩で表現した短いものである。井伏はこう訳した。

  どうぞこの盃を受けてくれ
  どうぞなみなみ注がしてくれ
  花に嵐の例えもあるぞ
  サヨナラだけが人生だ

最後の部分は原文では

「人生足別離」

である。叔父が最後に手紙に書いてくれた言葉は、この詩の最後の一文だった。私は叔父の死後20年を経てやっとこのことが解明できた。

その後、この詩について私なりに執拗に調査し、この詩に関して次のことがわかった。

1.代表作「幕末太陽伝」を撮った映画監督川島雄三は45歳で亡くなったが、彼の出身地青森 県むつ市の徳玄寺にある彼の墓碑に

 「サヨナラだけが人生だ」

 と彫られている。字は、川島の作品で使われた森繁久彌である。

2. 青森出身の詩人寺山修司の詩

  「幸福が通りすぎたら」
  「さすらいの途上だったら」
 
 に、この言葉が使われている。寺山は川島と同郷の青森出身であり、同世代である。ひょ っとしたら交友があったかもしれない。

3. 昭和初期に井伏鱒二は、昭和初期に林芙美子と尾道で講演会を行ったことがある。この  時に因島への船中で林芙美子が

 「人生はサヨナラだけね」

  と井伏に言ったことがあり、これが井伏の「勧酒」の訳に影響があった。

北海道ではお盆を迎え、暑い夏が日毎に秋へと向かっている。今年も既に、私は数人の高齢の人々を見送った。9月には、青森へ行き先日亡くなった母方の叔父の納骨式に出る。こちらの叔父は大正11年青森生まれで90歳だった。

私は、青森へは1990年3月に訪れたきりである。
今年6月に亡くなった叔父の納骨の前後に、私は幾つかの予定を果たす。その1つが、下北半島のむつ市へ出かけて映画監督川島雄三の墓碑を見てくることである。この詩の

「サヨナラだけが人生だ」

という言葉を胸に秘めて亡くなった人々への弔いの意味もある。

なお、川島雄三は井伏鱒二原作の「貸間あり」を映画化、劇中で桂小金治のせりふに「花に嵐の例えもあるそ。サヨナラだけが人生だ」を言わせている。

3
投稿者:玄柊
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投稿者:玄柊
やまおじさん、詳細なコメント有難う。実は寺山修司がカルメン・マキへこのフレーズがある歌を提供したことは、ご指摘のブログを見つけてほぼわかっていましたが、もう少し詳細に分かってから付け足そうと思っていました。
しかし、浅川マキの「13日の金曜日のブルース」の件はまったく知りませんでした。情報有難う。これで、ほぼ寺山修司と「サヨナラだけが人生だ」については分かったと思います。また、何か情報があればよろしくお願いします。
投稿者:やまおじさん
浅川マキ「13日の金曜日のブルース」は、YouTubeにアップされていました。
http://www.youtube.com/watch?v=qD-ThVm52pc

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/
投稿者:やまおじさん
ご参考まで。
カルメン・マキ「だいせんじがけだらなよさ」に触れたブログをみつけました。
http://claranomor.exblog.jp/17598234/
浅川マキも、カルメン・マキも、寺山修司のバックアップによってデビューしたはず。

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/
投稿者:やまおじさん
寺山修司がこのフレーズを愛していたことを私は知っていました。
浅川マキに歌詞提供した歌「13日の金曜日のブルース」に、「さよならだけが人生よ」のフレーズがあります。また、同じマキでもカルメン・マキには、「だいせんじがけだらなよさ」という曲名で歌詞を提供しています。

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/
投稿者:玄柊
その後、次のことが分かりました。
川島雄三(1918-1963)没年45歳
寺山修司(1935-1983)没年48歳
二人は青森出身という共通項はあるものの、思ったより年齢差があり、東京で親しく交友があったかどうかは定かではありません。
なお、青森出身の太宰治は、この詩の翻訳者井伏鱒二を師として尊敬し、結婚相手も見つけてくれた近しい存在です。彼の「グッドバイ」がこの「サヨナラだけが人生だ」と関連がるかどうかは現在調べているところです。
投稿者:玄柊
モネさん

むつ市へ、川島雄三のことが気になっていなければ行くことはなかったでしょう。さて、下北半島に行きつけるでしょうか。

グランマーあいこさん

久々のブログさっそくお読みいただき有難うございます。お盆とはいえ、決して明るい話題ではなく申し訳ありません。しかし、おっしゃる通り「出逢い」はなければ、「さよなら」もありません。
20年前に亡くなった叔父も、私にとっては魅力的な人でした。青森への旅は、二人の叔父を追悼する旅になりますが、他にも計画があり、紀行文を書こうと思っています。
暑い日々、お元気でお過ごしください。
 久々のブログが「サヨナラ・・・」とは 多分先月亡くなられた叔父様の事かと思いましたら 20年前にもお別れを経験なさって居らしたのですね。

出逢いが有ってこその「サヨナラ」だと思います ネットを通じて悠円さんから玄柊さんへ その他素敵な皆さんとの出逢いに 感謝して居ます。

青森では有意義な日々と新たな出逢いが有りますように・・・。
投稿者:モネ
58歳で亡くなられた叔父さんは、この言葉をどのような思いで手紙にお書きになったのか、と想像すると切ない気持ちになります。
別離を恐れない人生、生きる意味を考えさせられます。
むつ市での追悼の時を過ごされるのですね。
投稿者:玄柊
夢子さん、コメント有難うございます。確かに悲しい言葉ですが、訳した井伏には、人生そんなに悪いことばかりではないよという飄々とした雰囲気も漂っています。また、そう思いたいですね。
投稿者:夢子
サヨナラだけが人生だなんて、哀しいです。
又逢えると思えば生きる喜びに繋がります。
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