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寺山修司と「サヨナラ」

「さよなら」は別れの言葉である。日常のあいさつでしばしば使われる。しかし、これが死を目前にした場合は永遠の別れを意味し、より深刻で悲しい言葉となる。

しかし、「さよなら」はこうした日常的な挨拶レベルと、永遠の別れという否定的な意味合いだけで使われるのではない。「さよなら」には過去との決別、古い因習との決別、捨て去るべき人間関係との決別、男女の別れにも使われ、残された人生をより積極的に希望に向かって突き進む場合の言葉としても使われているのではないか・・・。

そう思っていたら、寺山修司の文章と出会った。

寺山修司に、角川文庫の「ポケットに名言を」という本がある。「名言」という言葉は教訓めいた含みがあり、寺山には似つかわしくないタイトルだが、この本のトップに次のような文章がある。

「時には言葉は思い出に過ぎない。だが時には全世界全部の重さと釣り合うこともあるだろう。そんな言葉こそ名言という事になるのである。
学生だった私にとっての、最初の名言は、井伏鱒二の

花に嵐の例えもあるさ
さよならだけが人生だ

という詩であった、
私はこの詩を口ずさむことで、私自身のクライシス・モメントを何度乗り越えたか知れやしなかった。「さよならだけが人生だ」は、言わば私の処世訓である。私の思想はいまやさよなら主義とでも言ったもので、それはざまざまの因襲との葛藤、人を画一化してしまう権力悪と正面切って闘う時に、現状維持を唱えるいくつかの理念に(習慣とその信仰に)さよならを言うことによってのみ、成り立っているようなところさえ、ある」

寺山修司にとっての名言とは、世界全部と釣り合うだけの重さを持ったものだった。井伏鱒二の訳した中国詩のこの訳に、寺山はこれだけのこだわりを見せた。

寺山はその後、二編の詩にこのフレーズを入れ、浅川マキとカルメン・マキへ提供した歌にもこのフレーズを取り入れた。

彼は48歳で早々と亡くなったその人生の通り、さよならを挨拶としての、あるいは悲しい「永遠の別れの言葉」だけとして受け止めてはいなかった。因襲、画一化への抵抗精神みなぎる言葉として「さよなら」を受け止めていた。

「さよなら」という言葉に関して、寺山修司とも井伏鱒二とも全く関係がないが、薬師丸ひろこのヒット曲「セーラー服と機関銃」(歌詞 来生えつ子)が印象的である。

「さよならは 別れのことばじゃなくて
 再び逢うための遠い約束

 夢のいた場所に
 未練残しても
 心寒いだけさ」

1990年暮れ、雪の深々と積もる旭川の深夜の街で、私は仕事からの帰りに、ひとり車でこの曲を繰り返し聞いていた。私にとって、「さよなら」と雪の降るシーンはこうして深く結びついている。やはり「さよなら」は、悲しくもさびしくもない、私は今そんなふうに考えている。

それにしても、人は一生で一体何度「さよなら」を言わねばならないのだろうか。
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投稿者:玄柊
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投稿者:玄柊
グランマーあいこさん、昨日は32歳で満州で亡くなったお父さんの命日でしたか。お父さんの無念はもちろん、さよならさえも言えなかったグランマーあいこさんの悲しみはいかばかりかと思います。
今日は終戦記念日、鎌倉宮へ行かれるのですね。私も、祈りたいと思います。
 今日は父が67年前に旧満洲で戦死した日です。
当時32歳ですが 父の倍以上の人生を経て尚「さよなら」も言えずに亡くなった父への思いは増すばかりです。

明日の終戦記念日には鎌倉宮の万灯会に行き 戦争で亡くなった方々と 去年の東日本大震災で亡くなられた方々に祈りを捧げて参ります。
投稿者:玄柊
山崎ハコ、中島みゆきにも題名に「サヨナラ」の含まれた歌があるのですね。
「左様ならば」が語源・・・。なるほど。
イングリッド・バーグマンの映画で「さよならをもう一度」という題のものがあるのを思い出しました。
いずれにせよ、「サヨナラだけが人生だ」に関しては、まだ新しい発見があるように予測しています。
投稿者:やまおじさん
私の好きな歌に「サヨナラの鐘」(山崎ハコ)、「さよならの鐘」(中島みゆき)があります。まったく違う曲なのですが、男女間に限らず、人は生きている間にたくさんの「さよなら」を経験するものですね…。
もともと「左様ならば」からきた言葉ですが、含蓄のある日本語です。

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/
投稿者:玄柊
やまおじさん、コメント有難う。「さよなら」は、世界でも通用できる言葉の響きがありますね。たしか、若きマーロン・ブランド主演の映画のタイトルにもなったはずです。英語で「サヨナラ」に「グッド」が入るのも、こうした相手への優しさが含まれている気がしてなりません。
投稿者:やまおじさん
私は「サヨナラ」の響きが好きです。
考えてみれば、日々、私たちは「サヨナラ」を繰り返しながら生きているようなものですね。
それが永久(とわ)の別れになるかもしれず、誰にもわからないのですが。

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/
投稿者:玄柊
やはり、太宰の「グッド・バイ」は井伏のこの訳に影響されたものだと分かりました。津軽出身の三人の没年は次の通りです。

太宰治  39歳
川島雄三 45歳
寺山修司 48歳

なお、川島雄三は太宰が嫌いだったことが分かりました。寺山は太宰に好意的でした。
追悼は、人によってやり方が違いますが、私はこの三人の追悼と、つい最近90歳で亡くなった叔父の追悼を9月末に青森で行います。また、個人的な話ですが、私の祖母も青森出身なので彼女の追悼も兼ねています。
投稿者:モネ
浅川マキとカルメン・マキの歌を聞いてみました。
寺山修司がこだわったこの言葉は、因習や画一化への抵抗精神。
自由を求める詩人の生き方に、多くの人が魅かれるのでしょう。
それにしても、寺山修司の「さよなら」は、早かったです。
土曜日に追悼会があります。「さよなら」を振り返る日です。
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