2009.1.18
感謝港湾シンガポール迷と小芙蓉さん
「ピアノのテクニックは上手いですよ、自分の演じているのが凄く可笑しくてね(笑)ピアノは好きなんだけどずっとまだその。。しかも実際その中でのシーンで凄く早く弾く高いレべルのものがあって、もっと練習しないと短い時間ではその成果があまり出ないんです。だからやっぱり又(練習する)機会がほしいですね。」
先生を呼んでレッスンを受ければいいのでは?
「受けましたよ、受けました。」
どれくらいですか?
「..大体二日くらい。ハハ」
「俳優をしていて一番嬉しいのは素晴らしい相手役に出会えることです。」
と小鹿のお父さん役の人と阿岳のお母さん役の2人について話します(省略)
今回關穎と共演してみてどうですか?
「關穎について?」
關穎咳払い
「よく言うのよ。」
「あー凄く自然体で彼女も又僕に気持ちよく演技をさせてくれる台湾では数少ない女優さんです。」
どうしては關穎は彼のことを鹽巴というあだ名で呼んでたんですか?
「呼んでた?」
關穎「なぜか私はどのドラマチームでもあだ名をつけるのが凄く好きで、彼は暫く(私のことを)小拍と呼んでいたので私は拍到底と呼んでたの、ハハ。でもあとから違うわ、そういうんじゃないわと気づいたので、うん。」
鹽巴も小拍も拍到底も単純に訳しても真の意味にはならないんだろうなと思うのでそのままに
そしておかあさん役の女優さんです
「私とJerryとの芝居は殆どが大きな衝突なの、(Jerryに)そうでしょ?全部喧嘩よね?」
「そう。」
「そのずっとあとに九份であるシーンを撮ったとき私はJerryに感動させられたんです、それは実際凄く近しいシーンなんです。ママは長年の疲れがたまって疲れきっている、やっと息子が帰ってきたのでそこに座り休んでいると彼が玉子チャーハンを作ってくれるんです、ああ、凄く凄く近い(親子の親密さ)
短い対話だけだったんですが、でもお互いに..Jerryは感じたかどうかは分からないけど彼のあの時の心情は凄くうまく出せていたと思うの、それで最後には私も彼に感動させられて、だからそのシーンが終わると..Jerryは覚えてるかどうかわからないけど..」
「覚えてます。」
「ポンポンと彼の肩を叩いたんです、何も話さずね。(何も話さないほうがいい)だから私にとってこのシーンは凄く記憶に残っているんですよ。」
別の動画にはこういう話もありました
「あの時蜂窩性組織炎にかかっていて重症だったんです、殆ど上海で撮影していたんだけど、余りに顔が腫れていたものだから監督が殴られるシーンを段取りしてくれたことが印象に残ってます。上手くメイクしてるなって言う人がいたけど実際腫れていたから。」