大阪の橋下知事は、国歌斉唱で立たないような教師に対し、条例できちんと定めるべきだ、という方針を打ち出した。
橋下知事は基本、国旗・国歌を守るべきことを示しつつも、教師がルールを守れないことの方を問題視するように説明している。
条例で縛る意味があるのか、という問題はもちろんあるのだが、そもそも背景の日の丸・君が代の論争がおかしな方向にズレているように思える。
まず第一に、日の丸・君が代の何を問題にしているのか。
左翼や教組は軍国主義である、というような説明をするが、軍国主義というのはそういう歌を唄い旗を掲げることではない。国旗や国歌はその手段の中に象徴として行なうのであるから、中身はなんでも同じ。露骨なことを言えば、日の丸・君が代を批判するなら、赤い旗を振ってインターナショナルの歌をうたうことも、同じことである。軍国主義や帝国主義の本質を論じないで、歌や旗など過程の手段を批判するなど本末転倒だ。
二つ目に、一つ目の問題につながることだが、人類の社会を統合する手段として国家制度があるのならば、それを象徴するものが必要になる。共産主義者が赤い旗をふるのと同じだ。日の丸・君が代を批判するなら、では代わりはなんだったら問題ないというのであろうか。それを示さない。
三つ目に、二つ目の問題を受けていうと、日の丸と君が代の具体的にどこを問題とするのか、ということだ。意匠として太陽を表すことにどういう意味がある。太陽を国旗にしている国は他にも多数ある。また特定の思想をデザインに込めるのなら、三色旗や、三日月、十字、いずれも当てはまる。それらも批判するのか。君が代には、天皇の世、だから国家主義だの帝国主義だのという解釈があるが、それ自体が現代的な解釈であって、本来古今和歌集にあるのは、単に賛歌でしかない。君を天皇であるかどうかという意見もある。平和で豊かな世の永続を歌うのだから、本来の解釈であれば別段問題とも言えまい。君が代を問題にするなら、他の国の国歌など殆どが問題になってしまう。
四つ目に、国民の多くの意見をどう見るのか。オリンピックなどで日の丸があがり、君が代を歌うのを見て、教師だけが否定的な感想を持つのか。
五つ目に、日の丸・君が代を、国家による押し付けだというのなら、それを否定する思想を生徒に押し付けているのが教師であって、教師のやっている事自体が、特定の思想を強制するファッショということになる。
大人になって、個人個人で考えるのは一向にかまわない。しかし、現在、戦争を強制するようなことは行われていないのだから、社会に国旗・国歌という基本的なルールがあることは生徒にきちんと教えればいい。それをしたからといって、生徒が軍国主義になるわけではないことは言うまでもない。むしろ、否定するから逆に、大人になって右傾化が進みかねない。
教師が個人的に賛否両論を持つのはそれぞれの思想的自由だが、それを教育で強制するのは別問題。ろくに社会経験もない教師がほとんどなのに、そんな人間が、狭い思想を、思想思考が発展途上の生徒に押し付けることのほうが、日の丸掲揚、君が代斉唱より、ずっと危険で異常なことだと思う。

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