昨日の統一地方選挙後半戦、民主党が惨敗したのは当然の話だが、反原発派も勢力を伸ばすことはできず、むしろ若干減少した。
逆風のはずの原発推進派のほうが当選している。
昨日は反原発のデモ行進が都内で行われ、過去最高の人数が集まったそうだが、それでも4500人程度だった。
あれだけの大事故にもかかわらず、反原発派の追い風にならないのはなぜか。
ひとつには、人的犠牲者が出ていない、というのがあるだろう。
また、放射線の影響が一部地域に限られているというのもある。殆どの人は被害にあっていないからだ。
だが、一番大きな理由は、反原発派の運動があまりにも非現実的だからだ。
ほとんど共通して、反原発派の主張は、原発即時廃止。
だが、それが不可能なことは誰の目にも明らかだ。たぶん、反原発派もちゃんと考えれば分かるだろう。
発電供給量の低下で計画停電になったことでもわかるが、電気がいかに重要か。
我慢すればいい、という簡単な話ではない。原発が全停止したら計画停電どころではなくなる。
新しいマンションや住宅では、電気を止められたら何もできなくなってしまう。
工場では電気が止まったら、生産も中止になるし、計画的に生産ができなければ、取引も中止され、経済界全体に大きなダメージになる。倒産やリストラによって失業者も増える。
いま、原発を全部止めたら、まず確実に日本は没落する。
分かりきったことだ。
電気が無くなることの問題のほうが、放射線による影響よりも現実感として上回っている。
さらに、分かりきったことを主張できないのは、反原発派が感情的に騒いでいるからでもある。
その感情的な部分も敬遠された理由の一つだと思われる。
デモ行進でヒステリックに叫んでいるのを見ても、同意するより引いてしまう。
反原発派がすべきなのは、冷静に問題を指摘し、代案をきちんと出すこと。
まず科学的、技術的にきちんと理解し、それが説明できなければならない。
今回の事故で、ようやくメディアも「放射能」という得体のしれない言い方から「放射線」ときちんと言うようになったが、反原発派の主張はこのレベルでしかない。放射線がどうして人体にとって悪いかの理解も必要だ。放射線自体は、自然にあるすべてのものから出ているのであって、その線量と細胞や組織への影響の相関関係を理解しないとこの問題は理解出来ない。
嫌っているからと言って、勉強しないのでは、多くの人に対して説得力はない。
問題点としては、技術的な問題なのか、人的問題なのかもきちんと区別すべき。
今回は、100%人的問題。起こらなくて済む事故だった。技術的に全く未熟なのか、人がきちんとしていれば避けうるのか、というところも重要だ。
そして、代替電力の明確なビジョンを立てること。
自然エネルギーを使うのは一つの案だが、風力にせよ、太陽光にせよ、地熱にせよ、自然エネルギーの発電所を作るには、相応の時間と金がかかる。4次元ポケットからひょいと出てくるわけじゃない。建設用地も必要だ。
発電所を作ること自体は、電力供給の面でも、建設事業としても、経済的に悪いことではないのだから、推進するとしても、どこにどれだけの発電所をどのくらいの予算で作るかを、きちんと示して主張しなければ、誰も耳をかさない。財源も示す必要がある。
反原発の見本のように言われるドイツでは、先に代替電力を建設してから、徐々に原発を減らそうとしている。なのに日本の反原発派はそこは参考しないのが奇妙だ。
電力にはベース電力という、常時発電し供給し続ける必要のある、いわゆる最低ラインがある。
このベース電力を維持するには、常時発電をし続けられる発電所が必要。原子力がここまで推進されたのもそれが理由だ。現時点では石炭か天然ガスの火力がコストと継続性で可能だから、その採掘技術(あるいは輸入)も考えなければならない。
反原発派ほど、電力の何たるかを知っている必要がある。
しかし今の反対運動は、ある種の非現実的な理想主義に走っている。それは「悪」としての原発を批判することで、自分たちが正しい人間であるという無意識の満足感、自分の社会での価値観を認識するところもあるからだろう。だからそれに反する状況に感情的になるのだ。
原発を無くしたい最短の道は、騒ぐのではなく、きちんと理論的に、解決法を提示することで、国民の支持を得ること。
リスクの高い現在の核分裂式原発には、問題点が多いのだから、他に切り替えられるのなら、それに越したことはない。多くの人がそれを支持するだろう。

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