ここのところ、ちょっと衆議院選挙もマンネリ感も出てきて観察してませんでしたが、いろいろあるにはあったようですね。
マンネリ感っていうのも、いけないことですが、選挙って、どうも長すぎるんですよね。
まずは、小泉首相と森前首相、和解。
やっぱ、非政治評論家的政界ウォッチャーとしては、森センセイは目が離せませんな。今度の首相との会談では、豪華なお弁当が出て、森センセイもご機嫌だったようです。あのガタイですから、食べ物につられやすいのでしょうか。ひからびたチーズなどとお口を滑らせたことがあってか、首相とそのチーズが出されるお店へ行きましょう、と言うことになったという。ほほえましい(そうか?)。
で、機嫌良くなった森センセイ、選挙で勝利したら、小泉首相の総裁任期をのばすべきだ、などと随分気前よくなっちゃいました。やれやれ。
新党間で議員のトレード、ならぬ移動もありましたね。
国民新党の長谷川議員、入党したばかりで離党し(笑)、新党日本に移りました。これで新党日本は定員確保で政党として認められ、選挙戦が戦える、と言う仕組みでございます。
にしても、国民新党に助けてもらって、それでいいのか、田中康夫? 塩をおくられた武田信玄のつもりか? 長野県だからか?
ま、どうでもいいや。
各政党のマニフェストを民間団体が採点した、と言うニュースが流れてたので見てみたら、チェックしたのは、自民党と民主党で、共産・社民はまったく相手にされてなかった。この辺りも二大政党化が進んでいるのだ。
ただ民主党のマニフェストって、どうもやっつけ的にいいこと並べたようで、実現化では、うさんくさいんだけどね。その採点でも辛口だったし、財務省の関係者もそんなこと言っていたし、アメリカ政府関係者の意見とやらでも同様だった。岡田さんでは、官僚の抵抗は排除できんだろうし。
自民党の方も、郵政民営化はともかく、他の点では果たして。小泉首相は、民営化で企業力を付ければ、財政も良くなる、だから郵政改革をやらなくてどうする、と言うことを演説で言っていたけど、政府の中には、逆に構造改革を否定し、公務員を削減せず、財源不足を増税でやろうとする動きの方が強い。官僚に動かされているのだ。
某省に勤めていた国家公務員の知り合いから内実を聞いたことあるけど、キャリアもノンキャリアも、かなりいい加減に仕事している。
人生論がお得意なある著名な評論家は、キャリアを批判しまくって、ノンキャリアをかばってたけど、ノンキャリアもひどいらしいからね。
公務員は大幅に削減してもやっていけると思う。財政問題で、人事院や財務省にはそう言う考え方もあるらしいけど、抵抗はすごいそうだ。
おもしろいのは、日本共産党。
公務員削減をブチ上げるかと思ってたら、日本は諸外国に比べて公務員の数は少ないのだ、とかばうような発言もしている。公務員削減を主張する自民・民主の陰に隠れないようにしている選挙戦術か、結構、自民党の汚職情報などが共産党に流れていることあるから、官僚とつながっていて、つまり官僚に利用されているのかも知れない。日本共産党よりは、官僚の方が、やり手だろうからね。
社民党は、まあ、まったくどうでもいい感じ。9条学者だった土井さん以来の憲法9条擁護論を前面に出し、戦争への道を阻止しよう、とか言ってるけど、概念ばかりで、具体性は全くない。戦争に至る過程についての議論もないし、憲法全般についての論議もない。憲法を擁護するにしても論議は必要なのに。それに、貧富の格差だとか、増税だとか、共産党が言いそうなネタまで使っている。要するに、自民・民主を悪者扱いにして、利を得ようというのがあからさま。だから、リアリティのない政党というイメージになって、票数が民主党に奪われてしまうのだと言うことがまだわかってないらしい。
そもそもヒステリックに他党を攻撃する政党が、戦争反対、って矛盾してないか。平和は話し合いでしかなしえないでしょうに。
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その他の時事ネタで。
駒大苫小牧校の野球部部長の暴力問題で、高野連は、優勝の取消はしないこと、秋の大会にも出場していいことと決定した。学校側・野球部と被害者の家族が和解したことと、優勝校ということで問題の大きさを考慮したのだと思う。
選手達の努力の結果、実力で優勝したわけだし、その点での不正はないのだから、当然と言えば当然の判断だろう。
ただ、先に明徳が辞退したことなどをみると、どうも学校にとって都合良くいったような感じは否めない。悪いのは被害者の方だ、と言う生徒らの意見も報道されたりしているし、被害者家族としても納得せざるを得ない雰囲気はあったかも知れない。
わたしの中学の頃は、全国的に荒れた時期だったので、生徒も乱暴だったが、教師も暴力は普通だった。鼓膜が破れた、頭から出血した、なんて話しょっちゅうだったし、別段教師も謝罪なんてしなかった。
と言って、それがいいというわけではない。むしろ、教師が感情のままに暴力をふるっているのがほとんどだった。そして、口を開けば、指導、とか、しつけ、とか、教育とか言う。
そういう言い訳は、昨今の児童虐待で実の親がよく使うけど、そう口にするのは、実の子や生徒をおもんぱかるより、自分の立場をかばおうとしている現れだ。自分のことしか頭にない。その時点で、すでに教育とかなんとかではないことを証明している。
苫小牧校の場合に限らず、教師の暴力事件では、生徒の側にも反発するような態度はあっただろうと想像できる。それで余計に印象が悪くなり、あるいは、教師がカッとなったりするのだろう。
しかし、それで殴って済ませようと言うのなら、教師もそんな程度の器だって事だ。
まあ、今の教育制度では、昔のようにそれなりの人物が教えるのではなく、ただ教育学部を出ただけの人が教師になる。もっとも社会経験がない人たちだ。教師に対する免許制度の更新制度も導入されると言うが、一番問題の多くみられる現役教師に対しては適用されない。
少し考えた方がいいのではないか。子供は将来の国家を支える礎なんだから。

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