最近、職場環境のことがさりげなく話題になっている。
電車の中吊り広告でも、どこかの雑誌の記事略説に人間関係のあり方みたいなのがあって、隣の席でもメールで会話、みたいなのが、書かれていた。
ライブドアの事件で、同社の社員がすべてメールでやりとりする異様な雰囲気を切々と語っていた。
中吊り広告の方は、記事を読んでないので良くわからないが、書かれていることだけを見れば、人間関係のヘタな今時の状況をおもしろがって取り上げたものだろう。
後者は金儲けに走ったおかしな会社の象徴的話、と言う感じである。
情報化社会が到来し、パソコン、携帯、PDAといった情報端末が普及し、小学校低学年の子供までが携帯で親にメールする時代。
ある情報番組で某俳優が、「メール? 手紙で十分だろ」と不機嫌に言っていたが、まあ、やりかたがわからないのだろうな、という印象であった。
とはいえ、人間関係、すべてメールだけって言うのは、確かに話を聞く分には異様に思える。
で、個人的な経験からこの点を見てみる。
今、派遣社員みたいな事をしているのだが、最初に行った職場では業務のやり取りはすべてメールだった。雑談とか全くない雰囲気でかなり違和感を持った。電脳関係の会社なので無理もないが。
おかしいのは、メールで全部やりとりするのに、セキュリティの問題でメールの情報が漏れるのを恐れていて、使えるソフトが限られていたこと。
口で言っても足りるところはそれでいいと思うのだが、と思った。ちなみにしゃべってみるとおとなしくていい人が多かった。
次の職場では逆にメールをほとんどつかわなかった。命令も報告もすべてミーティングであった。が、このミーティング、元々は自由に意見を出し合って、良いものを作ろう、みたいな考えで作られた制度じゃないかと思うのだが、私が行ったそこでは、ノルマ報告会になっていて、少しでも仕事が出来ないと批判される、戦々恐々の制度であった。しかもこの職場の上司、ちょっとしゃべっただけで、「お前の言うことはわからん」だの、「もっとさっさと喋れ」だの文句ばかりで、「もういい」とか言って途中で打ち切ったりすることもあった。さらに説明が上手く出来ないと侮蔑の笑みを浮かべて見たりするのである。まあ、こう言う人だからミーティングが悪い効果をもたらすようになっているのだろうけど。
これならメールの方が意見を言いやすいと思ったものだ。
やめる人の多い職場であったのを覚えている(私もすぐにやめた)。
その後に行った職場は仕事に関する連絡(仕事の担当割り当て、結果や問題が発生した時の報告など)は隣の席の人相手でもすべてメールだったが、上司も同僚も仕事中によく雑談して盛り上がっていたので人間関係としてはまともな方だった。では何故メールを使うのかと言うと、仕事に関することは、口答では間違って伝わることがあるのでそれを避けるためである。
つまり失敗できない点ではメールを使う事をうるさく言っていたが、雑談しながら仕事することについては、別段咎めなかった。だから、仕事が大変な時でも、さほどストレスを感じなかった。その会社の方針か、たまたまそこの部署の上司が細かいことを気にしなかったからか、そこはよくわからない。
ちなみに、2番目の会社は巨大で有名な会社であった。会社が大きいからといって職場がまともとは限らないのだ。
メールを使うのは状況次第であり、人間同士で直接交流しあうのが必ずしも正しいとは言えない。
要はメールは所詮道具であるってことで、道具をどう使うかは、すべて人間にかかっていると言うことだ。特に上に立つ人次第だろう。
フリーターやニートの問題だって、実は人間関係が重要なのであって、怠けているとか、社会意識が足りない、とか言う事じゃないのだってことを識者はもっと理解すべきだろう。

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