今年の春、芸術選奨で文部科学大臣賞を受賞した洋画家の和田義彦氏。
彼の作品が、今問題になっている。
ニュースにもなっているので見た人も多いだろうが、イタリア人画家、アルベルト・スーギ氏の作品とうり二つなのだ。
たまたま似た構図になってしまった、というようなものではない。
そっくりである。それも十数点も。
和田氏とスーギ氏は、和田氏が留学していた頃からの知人で、和田氏曰く、「一緒に同じデッサンで描いたので、共同制作のつもりだ、盗作ではない、スーギ氏もわかっていると思っていた」と述べている。和田氏がオリジナルで描いたかどうかはわからないが、スーギ氏は「盗作・コピーだ」といい、まあ、普通誰が見ても、そっくりすぎるので、疑ってしまうところだ。
文化庁は再調査をしている。専門家の調査で、本当のところはどうなのかわかるだろう。
盗作と似ているが少し違うのが、贋作。盗作というのは誰かの作品をこっそりまねて、いかにも自分の作品であるかのように発表することだが、贋作は、元の作品をまねて、その作者のものとして発表すること。たとえばある有名画家の絵をまねて描き、その画家の絵として画商に売ったりするわけ。自分の作品とは言わない。
どっちがマシか、と言うものでもないのだけど、盗作と贋作だと、贋作の方がいろいろおもしろい話がある。
贋作で有名なのが、ハン・ファン・メーヘレン。
オランダ出身で20世紀前半、リアリズムな絵を描いた画家だった。
ところが、前衛芸術がもてはやされるようになると、「いまどきリアリズムなんて、古くせー」と酷評されるようになった。
恨んだ彼がやったのが、贋作だった。
そして、その贋作がとんでもない代物だったのである。
1945年、ドイツのナチス政権が崩壊した。この時逮捕されたナチスのナンバー2、ヘルマン・ゲーリング国家元帥の妻の家から、一つの絵画が見つかる。
オランダの代表的画家フェルメールの『キリストと悔恨の女』である。
どのルートでこの絵がゲーリング家の手に渡ったのかを調査した結果、メーヘレンの存在が浮かび上がった。
人々は激怒した。自国の名画をナチスに売り渡すとは。奴はナチスの協力者だ。
メーヘレンは協力者でないことを主張し、その証拠として、その絵は自分が描いた偽物だと告白したのである。
ところが、誰も信じない。
「命惜しさにウソをつくとは、ますますけしからぬ奴だ。本物か偽物か、見る人が見ればわかる。これは本物じゃないか」
しかも、世間に出回っている有名なフェルメールの作品も自分が描いたというのである。
なんと不届きなウソをつく奴だ、と批判がわき上がった。
そこでメーヘレン。
人々の見ている前でフェルメールの絵を描いて見せたのである。
それを見た自称「見る目を持った」人々。呆然としてしまった。
見分けがつかないほどフェルメールそっくりだったのである。
結局、メーヘレンは、ナチス協力者ではない、むしろナチス高官をだまくらかした痛快な奴、と言うことになったのだけど、フェルメールの贋作を描いたと言うことで詐欺罪に問われ、すでに体が弱っていたこともあってまもなく死んだ。
フェルメールは本人が描いたと思われる作品が非常に少なく、偽物が多い。メーヘレンはそのうまさゆえにフェルメールの歴史を飾ったわけで、いまでもメーヘレン作のフェルメールがあるといわれるし、「メーヘレンの贋作」として美術館に飾られてもいる。
最近は、絵にしても音楽にしても文学にしてもコミックにしてもキャラクターにしても、オマージュだのパスティシュだのインスパイヤだのと称して、優れた作品、人気のある作品をまねて、自分の作品として売ることはよくある。画廊や出版社や企業の特許部門が、安易に人気にあやかって真似ものを推進しているところもあって、跡を絶たないわけである。
それゆえにオリジナリティが高く評価されるのだが、一方で、あらゆるアイデアが出ていることもあり、どこかしらでそれらのアイデアに触れることがある以上、無意識に影響を受けることもあるし、同じ人間が考えることでもあるため、似たような部分が出ることは充分起こりやすい。
オリジナルというのはすごく難しいのだ。
だからネタとしては同じだが、それ以外の要素(ストーリーだの歌詞だのと言った肉付け的な部分)に独自性を持たせてオリジナル性を高めることもある。
だけど、何より肝心なのは、作者がどう思っているのか、だろう。絵画にしても、陶芸にしても、文学にしても、音楽にしても、デザインにしても。
結果的に似たようなものになったのであればまだしも、あえて意図してまねたのであれば、忸怩たるものが少しはあるはず。
他人の評価もさることながら、一番わかっているのは本人。
どんなに理屈を付けても、自分はごまかせませんからね。
だから盗作は、自分の忸怩たる部分と恥ゆえにごまかそうとし、贋作は、罪に問われることを恐れてごまかすのだろう。
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というわけで、ブログも出来るだけ自分の考えで書かないといけないと思いつつ、ここで終わります。
がんばろ。

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