厚生労働省が公表した人口動態統計速報によると、今年9月に生まれた出生数(すなわち赤ちゃんの数)は9万4926人。前年同月に比べ4人減り、2月から7カ月連続で続いた「前年同月比」の増加がストップした。
ずーっと減少傾向にあった出生率は今年になって上向きになってきたと言われていたが、ここに来てブレーキがかかった感じ。
ここ20年の動態を比較すれば、数ヶ月間、わずかに上昇したからと言って、必ずしも、出生率が回復しているとは言いきれない。上がったり下がったりしながら、通年で見てどう変化するかを考えると、今のところ、減少傾向は続いていると見た方がよいだろう。
前内閣の某大臣などは、なんの策も施さずに、回復回復とはしゃいでいたが、学者崩れの政治家には、市民の抱える諸問題は解決など無理である。
相当な覚悟を決めて、抜本的な対策を取るか、なんらかの特殊な手法を取らない限り、人口減少は止まらないだろう。
抜本的な、というのは、たとえば、生まれた子供一人につき一定額以上の現金を支給する、教育費の免除を施す、住宅費用を補助する、税金を大幅に削減すると言ったようなこと。
出産に伴う育児休暇制度を夫婦共に与えた企業には補助金や法人税を緩和するようなことだ。
さらに制度を変えるとするなら、結婚制度の変更(年齢制限の緩和、一夫一婦制の両性緩和、制度の完全撤廃など)、中絶の制限などもあるだろう。ただし逆効果になる可能性もある。
特殊な手法というのは、人工出産の技術を発達させる、老化抑制技術を発達させ、相当な年齢でも見た目が若く、かつ、出産が可能となるようにするといったことだ。
ただ、出生というのは、数値上の問題ではなく、心理的な要素が大きいため、制度を変えたからと言って、子供の生まれる数が増えるとは必ずしも言えない。
さらに問題なのは、子供の死亡数が急上昇していることだ。
飢餓や病気、戦争で死ぬのではなく(そう言う例も地域によっては拡大しているが)、殺人や虐待、育児放棄、自殺による死亡率である。世界中で同様のことが起こっている。出生率の低下同様、先進国、途上国関係ないところが特徴だ。まるで、人類という種の全体に何か起こっているような感じである。
つまり、通常ならあり得ないことが、通常の中で起こるようになっていると言うこと。
全国の教育委員会は、ここ数年、文部科学省に対し、イジメによる自殺は一件もない、と報告しているが、実際にはかなりの数の児童生徒が自殺している。教育委員会が報告しないのは、自分たちの責任を問われるのを恐れているから。ただそれだけである。
要するに、子供が自分で死ぬという異常事態よりも、自分の立場に汲々する大人の存在によって、子供が死んでいるわけである。
さらにそれを止めるどころか、自殺する子供を非難する政治家。非常識である。
ただでさえ、人口が減少しているのに、生まれてきた子供まで死んでいくような社会には、かなりの問題があると考えざるを得ない。
で、人口がこのまま減少していったらどうなるか。
厚生労働省の試算によると、現在の勢いのまま人口減少が進んだ場合、労働力人口(15歳以上の就業者と求職者の合計)は2030年以降、急速に落ち込み、2050年には、2004年の水準より2171万人少ない4471万人となるという。
仮に、高齢男性や30代前半の女性の就労が飛躍的に進んだ場合でも労働力人口は、4864万人程度。
これは、単に労働力として人口を見た場合の結果だが、この場合でも、経済に与える影響は重大である。
もっとも、2050年には、ロボットが労働現場にかなりの規模で導入されているだろう。ロボットと言っても産業ロボットではなく、人型のロボットが。ロボットに製造を任せて、人間はその利益に乗っかって悠々自適の暮らしを取ることも可能かも知れない。ロボット依存型社会主義である。
むしろ出生率低下で怖いのは、種としての人間の行く末である。次世代が減っていくことの真の恐怖を、官僚や政治家らはわかるまい。気付いたときには、子供がいること自体が貴重な時代が来るかも知れない。
そうなったら、ちょっとした小児病が流行しただけで、人類は世代を残せないまま滅びるかも知れない。
今の段階では、荒唐無稽な話だろうが、先々、笑っていられるかどうかはわからない。
将来、あらゆる出生率低下の対策が失敗に終わり、人口減少に歯止めがかけられない事態となった場合、最終手段として、不老不死化がある。
子供が生まれなかったら、生きている人間を若返らせ、不老化して、社会を維持するしかない。
こうなれば、逆に出生率がV字回復し、あるいは、人口増加が始まるかも知れない。
しかし不老不死化したら、現状の社会体制のある部分は崩壊するだろう。なぜなら、子供を除けば、オトナはみな若い人間ばかりで、親子兄弟みな同じくらいの歳だったりしたらどうなるか。結婚制度などは、脆くも崩れ去るかも知れない。

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