阪神・淡路大震災から12年。追悼や慰霊の行事が行われ、各地で防災訓練が実施された。
あの地震はいろいろな教訓を残したが、その最たるものの一つが、政府や自治体の対応であろう。
あのとき、村山内閣は、何もしなかった。被災地で大変なことになっている中で、すぐに対策本部を設置できず、まともな指示も何もしなかった。
各地元自治体長は、自衛隊の出動を拒み、ほとんど救助活動が行えなかった。左翼かぶれの、自称知識人や、文化人らが、自衛隊の活動を批判していたからだ。
米軍が救助に当たろうと申し出たのも、地元自治体が拒否している(これは日航機墜落事故の時にも起こっている)。
また、海外から救助犬を連れた救助隊が多く駆けつけたが、政府はその活動まで制限した。法律だの、制度だの、その他いろいろを盾にしたわけだが、実際には、官僚らがその活動に対する責任を負うのをいやがったからである。
マスコミはいいネタが出たとばかりにヘリを何十機も飛ばし、その騒音で生存者の声が聞き取れなかった。
そのせいで、がれきの下敷きになったまま、救助を待ち続けて死亡した人が大勢出たが、政治家も、官僚も、文化人らも、マスコミ関係者も、誰一人責任はとらずに、のうのうとその後も生きている。
公式数で6436人が死亡したが(実際にはもっと多いが)、その多くは救助できただろうと言われている。
一方で、住民同士の救助活動、ボランティア、企業の支援は早く、東京の本社と地元の支社が連絡しあって、食糧や水を輸送した例もある。皮肉にも、関西に拠点を持つ新興宗教団体、ヤクザ組織などは、すぐに支援を行った。政府よりもそっちの方が役に立ったわけである。
しかし、あの震災後、国民の批判によりその反省も出て、その後の大きな地震では、政府も、地元自治体も、即座に対策本部を設置し、自衛隊に救助を要請しているし、米軍との協力体制も準備が進められている。なんだかんだ言っても、文化人や知識人は、大規模災害には何も役に立たない(それどころか、自衛隊に救助を求める側になる)。その能力がある組織が動くのは当たり前のことで、それが憲法に違反するかどうかとかではない。人の命の方が先なのである。
同じ規模の地震だった新潟県中越地震では、人口の規模が違っていたとは言え、救助活動もすすみ、死亡者もずっと少なかった(その後のエコノミークラス症候群は問題になったが)。
救助技術も民間を中心に研究が進み、政府も補助金を出している。
その中心がロボットだ。
足場の悪いがれきの中に入り込んで、中に人が埋もれているのを、ライトを当てたり、集音や赤外線で探知する。独立した複数のキャタピラーやボディの周りを回転する多足装置で、かなり自在に動くことが出来る。
日本はマンガなどで古くからロボット文化が進んでいるにもかかわらず、実際のロボット技術は必ずしも発展しなかった。どこか子供じみた荒唐無稽なもの、と言う感覚があったようで、いずれも外国の技術を元に研究を進めたものか、個人や企業の一部署のみで細々と研究していたものばかりである(逆に言うとロボット研究者の多くは、皆アニメの影響をそのまま研究の道にしてしまった人たちである)。
しかし、せっかく技術と文化としての素地があるのだから、本気になれば、いざというときの役に立つものが出来るはず。そして、その技術は他の需要にも応用が利く。
ただし、技術に頼りすぎると、技術システムそのものが被災することで使えなくなったときにパニックになるので、人力で出来ること、人同士の連携も普段から訓練しておかなければならない。
天変地異が天災になるのは、そこに人がいるからであり、災害の規模を減らすのは人次第。政治力と、住民同士の助け合いと、経験と、技術力だ。
それを指摘したのが阪神・淡路大震災であるなら、あのときの犠牲者のためにも、次の大地震では可能なあらゆることが出来るようにしておかねばなるまい。大地震は必ず起こるのだから。

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