いま、中国が世界中に進出している。
これまで台湾と国交を結んでいた南太平洋諸国、アフリカ諸国を、次々と「寝返らせて」国交を樹立している。一方の台湾も巻き返しを図っているが、勢いは弱い。経済力と、見境無い支援に寄るところが大きい。
また、これまでアメリカや日本と友好関係を結んで、経済支援の見返りを求めてきたそれらの国々は、その関係先を中国に変え始めた。台湾と違い、日米との関係が断絶するわけではないが、その重要性は低下している。
なぜ、中国に乗り換えるかというと、中国は、友好関係を結ぶ際に、単に経済支援だけでなく、相手国の政治・思想にこだわらないからである。それが独裁国であれなんであれ、容認するからである。これが民主化を要求するアメリカや、支援先の国をバカにする風潮の強い日本(※)から鞍替えする要素である。
(※たとえば正論好きの朝日新聞でさえ、イランイラク戦争時にテヘランの日本人脱出を支援したトルコを、金ほしさに支援した、と報道している。実際には明治時代のオスマン帝国外交使節団のエルトゥールル号が日本沖で遭難したのを日本人が助けたことに由来するのだが……)
一方で、中国との友好関係を結ぶと、支援は受けられるが、産業の主要な部分を中国人に持って行かれてしまい、結局、地元住民は豊かにならない、と言うことも多い。そのため、しばらくすると、実態に気づき、反発を招いて、暴動が起きたりする。
中国がこれらの国を支援するのは二つの理由がある。
ひとつは、資源争奪戦だ。資源国に支援することで、その国での採掘権を買うのである。人口が多く、経済格差が激しく、エネルギー設備の近代化が遅れている中国では、とにかく資源を確保しなければならない。だからもう節操なく、世界中の国に手を出している。アフリカ諸国、ロシア・中央アジア諸国との上海会議、日本や韓国とは海上領土問題で対立している。
さらには月にまで手を伸ばそうとしているほどだ。先日打ち上げられた月探査機「嫦娥」は、資源探査機である。はやくも日本の打ち上げた「かぐや」との関係で、資源獲得戦争の始まりか、などと報道されたりしている。
もう一つの理由は、台湾との関係で浮かび上がる「正統史観」だ。
日本も含む他の国には非常にわかりにくいことだが、中国には、天から命を受けたものだけが「天下」を治める権利を持つという天命思想がある。ここで言う「天下」は「世界」のことだが、それは今の中国領土を意味しているのではなく、まさに「世界」なのである。
世界を治めるのは天命を受けた「皇帝」ただ一人。「皇帝」とは西洋で言うようなエンペラーのことではないし、日本人の考える皇帝でもない。王様のすごいもの、と言う意味ではなく、天命を受けるたった一人の「天の代理」なのだ。一人しかいない。
ただし、この代理者が世を治められなくなれば、災害が起こり(天の意思の表れ)、反乱が起こり、天の命があらたまって、新たな人物に天命が下り、次の王朝が誕生する。命が革たまるから、「革命」となる。レボリューションの革命ではない。
つまり、天命が誰に下ったかの正統性を示すことが支配者にとって大事であり、漢の武帝の正統性を示した司馬遷の「史記」以来の伝統であり、すなわち、「天下」に皇帝が何人もいてはいけないのである。
たとえば、正史「三国志」では、正統なのは「魏」のみ。諸葛亮が「天下三分」の計を唱えたのは、まさに奇策中の奇策な訳である(天下を分けるというのは正統に関わる大問題だから)。実際、蜀は漢の後継を主張した。
北方異民族の王朝である「唐」は正統性を受け継いでいることを主張するのに苦労して「北史」「南史」という異民族系諸王朝(北朝)と漢民族系諸王朝(南朝)の二つの正統を受け継いだような主張をした。
後にこれは「資治通鑑」(司馬光編著)で批判され、漢より代々天命を受けてきたのは南朝だけであり、唐は、隋が南朝を滅ぼした時点で天命を受け継ぎ、それが唐に受け継がれた、と言う理論になった。
この思想は変化して、日本の南北朝論争にまでつながり、明治の大逆事件や、戦後の教科書(南朝の天皇が正統と記述されている)にまで影響した。
モンゴル系の元王朝では、正史を編纂するに当たり、北方系の遼帝国と金帝国、北宋・南宋の宋帝国の3つの歴史書を編纂しようとして、旧南宋系の学者から反対された。天下に皇帝は一人、帝国は一つであり、同時に成立していた遼や金は正統ではない、正史を編纂する必要はない、と言うわけだ。モンゴルにはその理屈は通じないので、結局3つの王朝の正史が作られたわけだが……。
その元は、明によって北方に追い出された後も、アジアの広い地域に領土を持ち、明と戦い続け、実際に滅亡したのは清が成立してからだが、中国では、元が中国から去った時点で、天命を失っているので、ここで滅亡したことになっている。ちなみに日本では中国を去った元帝国のことを「北元」と呼んでいる。
この正統性は、今も生きている。
台湾の中華民国は滅亡したわけではない。また石原慎太郎などは、同じ民族で複数の国があってもおかしくはない、それを一つにまとめようとしたのはヒトラーではないか、として中国を批判している。
だが、中華人民共和国にとっては、台湾に中華民国政府があるか無いかではなく、中国を失った時点で、天命を失ったと思っているのである。歴史上連綿と続く、天命の正統性は自分たちにあるというわけだ。満洲帝国などを否定するのも同様の理屈である。
もちろん、現実には、台湾は国家として存在するし、天命思想のない他の国から見れば、それは至極普通だ。だからもし今後、台湾が力を持つと、今の状況が覆るかも知れない。また、台湾が中国ではなく「台湾国」と主張するのもいわゆる「賊(王朝に認められない存在)」になるわけで、許せないのである(三国時代なら、独立国家「呉」を批判する「魏」と似ている)。
中国にとって、天下とは「世界」である。帝政が無くなった今でも、主席は天命を受けているような感覚だ。じわじわと、世界中を支配するために行動している。
もともと「中国」とは、国名ではなく、「世界の中心」と言う意味だ。中華思想は、たとえ武力で負けても、世界最高の文化で蛮族を支配する、という思想から来たものだ。日本もアメリカも、もちろん、中東やオセアニアやアフリカ人も、彼らから見れば、蛮族に違いない。
そう言う思想や感覚を再び中国人が持つようになったとき、それを理解していない(歴史思想の異なる)西洋人が油断すると、中国人は、アメリカをさしおいて、史上初の世界帝国を建設するかも知れない。
もっとも、それまで今の中国が持つかどうか、その方が大きな問題ではあるが。

0