古代ギリシャ時代、都市国家アテナイでは、力を持った市民が権力者を選ぶ制度があった。
陶片追放と呼ばれるもので、政治権力を持つ貴族の中で、僭主と呼ばれる独裁的地位に就いたものの中で、有力市民らが会合し陶器の破片に名前を書いて、その数が多かったものを追放するというものだ。
僭主は、市民の力を背景に権力を握るものであるが、問題があると見なされれば、市民が追放する制度である。民主主義の原点と見なされることも多い。
追放されたからと言ってそれで終わるわけではなく、一定期間後にはまた復帰するのが普通で、財産などが没収されるわけでもなかった。
そして、この陶片追放という制度、必ずしも政治の刷新という意味だけで行われていたわけではなく、権力闘争の道具にも利用され、優れた政治家が追放されるときにも利用された。
その意味でも、昔から変わっていない、と言う見方も出来る。
今の民主主義制度は、国民国家の思想が根付いた19世紀はじめ頃から以降のもので、一般市民の思想としてみれば、それ以前と以後ではだいぶ異なる。
ただ、権力機構が崩壊するときに、国民(あるいは人民・百姓(ひゃくせい)・単家などと呼ばれる「庶民」)の力が働くのは昔から変わらない。大王朝も時には農民の反乱から崩壊していく。
また一方、近現代に入ってからは特に、民主主義的な動きや制度が、混乱と腐敗を生み、そう言う権力に倦んだ人々が、一人の英雄や軍人を喝采を以て迎え、独裁者を生み出すのも、繰り返し行われている。これは、古代中世の建国の王である武将、貴族を人々が支持するのとやや似ている。
フランス革命も、中国の一連の革命も、最近の色と花の名前が付いた東欧諸国の革命も、みな、最初は民衆の喝采と運動から政変が起こり、民主革命と評されるが、民衆に選ばれた政治家らが今度は内紛を起こし、抑圧政治を生み、結局崩壊してしまっている。
独裁政治と民主政治は、背中合わせの表裏一体のようなもので、正反対のように見えるが、大きな共通点が二つある。
一つは、民衆がその政治を生み出していること。民主政治はむろんのこと、独裁にしても民衆の熱狂的な支持がなければ成立しない。武力や情報統制による民衆支配だけで独裁体制が成立しているわけではない。
もう一つは、政治家が主観的な政治信条で動いていること。客観的な政治はまずあり得ない。たまたまその政治思想が民衆のためになり名君・名宰相・民主主義の体現者などとして名が残る場合もあれば、逆に理想を掲げて民衆の支持を得た政治家が、その理想主義のあまり、ちょっとでも自分の考えに反するものを正義に反すると称して処刑したり弾圧したりして結局独裁化する場合があるのも、政治家の主観という意味では同じだ。
どちらもきっかけは、民主主義である。
いま、これまでのクッション的制度だった議会制民主主義から、より直截的な独裁制度へ変貌する例が次々と生まれてきている。
ロシアのプーチン政権、イランのアフマディネジャド政権、パキスタンのムシャラフ政権、ベネズエラのチャベス政権などは民衆の支持で成立している。また部分的、一時的には、フランスのサルコジ政権も、アメリカのブッシュ政権も、日本の小泉政権も、韓国やオーストラリアでも、政権が国民から熱狂的なほどの支持率を確保し、メディアまでが好意的に報道するような状況になっていたことがある。
民主主義が浸透し、高速情報化が進んだ時代、人々は権利を当たり前のように行使し、情報が与えられることで考えることをしなくなり、社会の連帯性を失い、未知のものへの感動をなくしてしまった。
それゆえに、反動として、そうではない制限された社会になにかしらの理想や新しさや高揚感を持つようになっているのかも知れないし、すがりつきたいのかも知れない。
民主主義の政治とか、思想の自由とか、理想的な理論理屈はいくらでも用意出来るが、世の中を動かす圧倒的なパワーを持つのは、人類の8割、すなわち社会性の強い人々だ。その人々をコントロールするのは、残りの2割に属する独立個性の人間だろうが、理屈だけで8割の人を動かすことは出来ない。しかも、動き出した民衆を止めたり方向転換させるのは容易なことではないのだ。
政治や思想を理想的なところばかり見て理屈をこねていると、あっという間に民衆の渦に巻き込まれてしまうことだってある。
平凡で善良だった人々が、どこで一方向へ勢揃いするようになるのか、そこを見極めて行動しないと、世界は再び、複数の独裁権力によるブロック体制へと変わり、やがてその対立から次の世界大戦へと発展するだろう。

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