帝都攻略第三弾〜。
今回は、荒川区東日暮里、台東区浅草、そして東上野です。
下町攻略戦でございますね。
実は、この範囲、ある目的あってのものであります。
あらかじめ、それを言いますと、
同潤会アパート、でございます。
同潤会っていうのは、関東大震災のあと、被災民への住宅供給とスラムの生活環境改善を行うために当時の内務省主導で起こされた組織で、東京と横浜で住宅建設を行いました。
1924年に設立され、1934年まで鉄筋アパートを建設し、その後は1928年頃から行ってきた一般住宅中心に建設しました。
そのほぼ日本最初のアパート建築が「同潤会アパート」です(他にも鉄筋アパートの建設事例はありますけど)。
同潤会アパートは戦時体制に伴い住宅営団へ委譲し、戦後、大塚女子アパート以外は居住者に払い下げられましたが、老朽化が進み、ほとんど解体されました(原宿表参道のは有名でしたよね)。
そして、いま残るのはたった2件。両方とも解体計画があり、しかも1件は解体そのものが迫っていたので、急遽撮影を敢行するついでにいろいろ撮っちゃおう、と言うわけ。
ちなみに、正直に申しますと、これ、12月です。すみません。前回の神田大手町攻略戦掲載が長引いちゃいましたので、いまから掲載です。
というわけで、東日暮里から参ります。

午前8時半、三河島駅到着。土手の上にあるホームから眼下を見ると、まず目に飛び込んだのは、廃校を利用した教育センター。昔、荒川区のバイトしたことあるんですが、その現場の一つがここでした。

三河島駅です。関係ないけど、常磐線の快速線って、電車の1編成あたりの車両長いですよね。東京では6〜11両くらいが一般的ですが、15両のがあります(10両もあるけど)。三河島駅は土手上にホームがカーブした駅なので、ぬ〜んと電車が伸びて見えます。

駅を出てすぐ見かけた小さなビル。なんか、表に面したところだけの薄いビルですね。内部構造が気になる。

尾竹橋通りの商店街。ややノスタルな建物が並んでます。

典型的な「信用金庫」建築です。

看板建築風。横の円い窓も特徴的。

カンカン森通りに入ります。おもしろい名前ですが……由来は以下に。
いきなり木造2階建て建築です。昭和〜。

トタン壁でしょうか。錆び具合がそそります。

お茶やさんでしょうか。この看板、味がありますわ〜。

1階が倉庫か町工場の様な構造と思われるこの建物。痛んでいるので使ってないのかも知れませんね。でも、雰囲気ばっちり。

猿田彦神社。記紀神話の天孫降臨に登場する神様です。
なんでも江戸時代には第六天王社と呼ばれていたそうですが、ここが通り名になっている「カンカン森」だそうです。お社の森のことでしょうか。カンカンとはなんだろう。

神社横の蔵風建築。

町工場らしき建物。この雰囲気……イイ!(゚∀゚)

東日暮里交番西交差点をすぎ、次の路地を曲がると……。
ついに登場〜。同潤会三ノ輪アパート!!
というわけで、続く……Σ( ̄□ ̄;)ココデ...!?

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