いま、さりげなく流行っているとして、ニュースやネットにも取り上げられるようになったものが、『蟹工船』。
小林多喜二の小説で、プロレタリア文学の代表的作品。
缶詰工場船である蟹工船「博光丸」を舞台に、搾取される労働者らが、徐々に自分たちの権利を主張して行動するようになり、監督者や軍の弾圧を受けながらも資本家達を追い込んでいく話だ。
小林多喜二が逮捕されるきっかけとなった作品でもある。釈放された後、小林は、地下に潜伏して「当時の」共産党の活動に関わって再び逮捕され、特別高等警察による拷問が原因で収監中に死亡した。
教科書に近代史や近代文学史で取り上げられることの多い作品である一方、当時の暗い部分を描いた作品として、敬遠されがちだった。
その作品が、なぜ今になって流行っているのか。
それはワーキングプアが社会問題化している世相が、蟹工船の世界とだぶっているからだ。
読むのはほとんどが20代前半の若者。
派遣社員や契約社員となって、派遣先の企業をたらい回しにされながら、正社員の平均6割程度の給与で単純労働作業を繰り替えし続けている人が多い。一生懸命努力しても、報われることはない。
それが蟹工船で奴隷のように働かされる労働者と似ているのだ。
派遣社員や小企業の社員(仕事がないため派遣のような仕事をしていることが多い)を企業に斡旋するソリューション企業の現場は、派遣労働者の頭数で業務提携している。当然派遣社員の心情は関係ない。もちろん、ほとんどの場合は、蟹工船の労働者のように人間扱いされないような環境ではない。
それでもそう言う現場では、ソリューション会社の社員(特に人事担当者)を「奴隷商人」と陰で呼んだりする。
そう言う派遣社員たちのあいだで、おそらくは口コミで『蟹工船』という作品のことが伝わったのだろう。共感しているわけだ。
ところで、この話題に、驚く人々が結構いる。
古い文学である『蟹工船』を
今時の若者が読むなんて!
というのだ。
驚きを示すのは、50〜60代くらいの団塊やポスト団塊世代の自称知識人ら。ある程度、左翼思想にも染まった経験のある連中であり、バブル期を担った世代だ。一方で派遣社員など社会の低層を自己責任を理由に見下しているようなところがある。
彼ら世代の多くが、今時の若者の語学力低下を批判していた。
マンガやアニメ、ゲームに染まり、ゲーム脳などという非科学的な学問を信奉し、凶悪事件を起こす原因にゲームなどを挙げるような連中だ。
そんな彼らの批判対象である若者が、文学としては難解な方であるプロレタリア文学の代表作『蟹工船』を読んでいる、と言うのだから、それは驚くだろう。
文字が読めないなどというが、読めない訳じゃない。確かに大学でろくすっぽ漢字も書けない学生とかいるのは事実である。だが、それをしてその世代が文字も読めないバカ世代だという風に持って行くのは間違いだ。
それに、興味があれば、たとえ漢字がわからなくても勉強する。
むしろ団塊の世代の方が、『蟹工船』を読んだことなどないだろう。
なぜ知識人層は、若者を一緒くたにしてレッテルを貼りたがるのか。
いうまでもなく、不安だからだ。
今の若者は、パソコンも出来れば、ネットも当たり前、猛烈な速度で携帯親指入力を行う。上司との酒のつきあいを平然と拒否する一方で、横のつながりを大事にする。そして独自の世界観を持っている若者に、団塊の世代は得も知れぬ不安を抱く。理解出来ないと一方的に罵倒し、事件が起こると、やはり世代がそうなのだ、と偉そうに批判する。
そうしないと、自分たちの立場が失われるような怖さがあるのだろう。
団塊の世代も、若い頃は、上の世代からそう言う目で見られたのである。それが今は、下を恐れるようになった。
若者が『蟹工船』を読むことに驚くこと自体、理解出来ない世代への恐れがあるからだ。
団塊の世代でも、そう言う若者を理解し、取り込むことでビジネスにつなげようとしたり、指導的な立場に立つ人もいる。だが、そう言う人たちは、理解しているがゆえに若者の行動をいちいち騒ぎ立てない。
『蟹工船』のブームは、ブームでしかない。社会を反映したものであると言うことと、近代文学リバイバルの中で、出版社が再び近代文学を出版し始めたからだ。太宰治や芥川龍之介も人気だ。表紙に小畑健や荒木飛呂彦ら人気漫画家のイラストを採用するという動きもある。それらにあわせて、若者らが
勝手にブームを起こしているだけなのだ。大人の世代は関係ない。
時代は変遷していく。やがて、膨大な数の団塊の世代やポスト団塊は退き、その下の世代が社会を担うだろう。『蟹工船』ブームは、大きな世代交替という過程で起こる一つの出来事が、たまたま社会の格差という問題で現れたにすぎないのではないか。

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