竹島ネタで引っ張ります。
日本は、今回も、またこれまでの領土問題や、貿易摩擦でも、なんか、相手に譲歩して、はっきりと主張しないでいたために、結果、不利な状況に陥ったり、自国の産業が不利益を被ったりすることがしばしばある。
結局、相手の思い通りになって、何のために譲歩したのやら、ただ負けただけ、と言うような外交が結構多い。
領土問題で言えば、竹島と北方四島は取られたまま、尖閣諸島は何とか確保しているが、近くの海底資源は先手を打たれてしまっている。また、今の経済不況、国内産業の空洞化と衰退だって、貿易摩擦や金融関係での国同士の交渉で譲歩した結果である部分が少なくない。
なぜ、日本はこうも外交が下手なのか。
評論家や、朝日などの左翼系新聞は、概ね、近代史をその根元として扱う。
すなわち、明治後半から昭和前半までの一連の紛争、戦争で、日本が周辺諸国に侵略したことをやり玉に挙げ、それをそのまま、主張することへの批判として利用する。なにか主張しようとすると、軍国主義だ、覇権主義だ、と言う風になるわけ。
一方、その戦争でボロ負けした結果、平和こそ大事、と言う観念が戦後主流となり、争いは何でもダメ、自国の権利を主張して争いになっては行けない、と言うので、譲歩譲歩をするようになった、という考えもあり得る。
上記のようなことは、理由の一つではあるだろう。
ただ、近代史だけを切り抜いて、理屈を論じる前に、元々、日本には、和を尊ぶ文化や風潮がある。
もちろん、戦乱に明け暮れた悲惨な時代もあるし、諸外国との戦争や紛争もそれなりに行っている。まったく平和だったわけでもない。
しかし妙に和にこだわる文化も同時に存在してきた。
これはどういうことだろうか。
日本の国家の概念は、たぶん、飛鳥、奈良の頃に成立していったと思われる。思想、文化も、その頃からまとまってきただろう。
問題はその頃、長期的にどういう現象があったかである。
大和王朝が日本の主要部分を抑えるようになったのは、4〜5世紀頃だ。史料にはほとんど記録が残っていないが、このころから、大陸からたくさん移住者が渡ってくるようになった。大陸の南北朝期における度重なる戦乱や、国土の荒廃による飢餓が拡がり、多くの難民が朝鮮半島や東シナ海、あるいは琉球諸島、日本海を経て、日本へと流れ込んだわけである。
一世代程度の速度で、追い立てられるように大陸から逃げてきた人々にとって、個人も家系的歴史でも、いつ大陸の王朝が攻めてくるかわからない、と言う恐怖心があり、伝えられていただろう。明確にそれが遺跡としてみられるのは、600年代後半だが、それ以前も、以後も、その恐怖はずっと人々の中にあったに違いない。
日本にも、それよりさらに古い時代に移住してきた人々がかなりいたわけだが、そこへ、大陸のいろんな場所から人が来た。中国華北方面から来た人もいただろうし、朝鮮半島で数世代を経て渡ってきた人もいるはず。呉の地方から来た人も多かっただろうことは、稲作文化、日本の言葉に呉音が残っていること、呉服などの言葉があることでもわかる。
当然、文化はごちゃ混ぜになっていたはずだ。
本来なら、所々にコミューンが出来、お互い相争うようなことになっていたはずだ。地名や寺院の謂われなどに、当時、ある程度民族的集団が各地で形成されていたことは明らかである。
しかし、内乱や列島内での複数の国家形成などは起こらなかった。
天皇家を中心にして、外国人も含む貴族体制が出来、政変などは繰り返しつつも、奈良時代に入る頃には、いわゆる「日本」という国家体制として成立している。
要するに、当時の人たちは、内輪もめしている場合じゃない、そんなコトしているうちに、大陸の王朝が大軍で攻め寄せてくるのではないか、という問題の方が大きかっただろう。
だから、古代の人々は、時間をかけて、人間関係を構築する方法を作り込んでいった。日本人に特徴的な、付和雷同性、都合の悪いところは見ないふりにする態度、表と裏の使い分け、ナアナア主義、出る杭を打つ感覚、こういったものは、問題はさておいても、とにかくみんな仲良く、と言う感覚である。
そうでもして、とにかく社会を作り上げ、統一国家体制を築き、大陸からの勢力に対抗出来るレベルにしなければならなかった。
一人一人がそこまで考えていたかはわからないが、集団としては、徐々にそうやってまとまっていったことは想像出来る。
やがて、その歴史が、口伝や内輪の記録を経て、記紀神話の成立にまで発展していくのだ。
一方で、日本の歴史には、時に武力や暴力に満ちあふれる時代がある。諸外国への強い姿勢が国民の風潮や抑揚につながることもある。争いまで行かずとも、貿易が盛んな時代が時々来る。
それは、国内の、内向きの閉鎖的で比較的平和な時を過ごす時代と、交互に訪れることが多い。
一種の反動と言える。
日本は、古代に始まったこの「出来るだけ争いを避けてまとまろう」とする感覚が、今の外交の下手さ加減にまで受け継がれていると行って良いのでは。半笑いの笑顔で、まあまあいいじゃないですか、ここは一杯、みたいなことにしようとする傾向があるわけだけど、中国や朝鮮半島にその方式は通用しない。
彼らには彼らの歴史で培われた交渉思想があるのだから。
最近、日本人に、外国のはっきりものを言う方法を真似て、ただ主張しまくって文句を垂れるようなのが正しい、と勘違いする「偽国際感覚」もしばしば見られる。だが、それは外国でも批判されるし、交渉とはみなされない。
国際感覚を養うのは、単に学校で教えるような英語を学ぶことでもなければ、威張り散らすことでもない。
肝心なのは、相手のことを知ることだ。と言っても同情するような意味ではない。なぜ、そう言う態度を取るのか、なぜその方向に持って行くのか、どこまでが交渉で、どこまでが本気で、どこまでなら譲歩するのか、それらの判断基準となる相手のデータを知ることである。
外国人の方が、日本を研究し、礼儀正しく、日本の伝統文化を学ぼうとするものが多い。主張する力と、礼儀を重んじる文化を融合させたら、日本人に勝ち目はなくなる。日本もまた、日本の和を尊ぶ良い部分と同時に、相手を知り、自分を高めて、堂々と主張しあえるレベルにまで上げなければならない。
今はまだ、日本政府も、あるいは朝日新聞のような自己満足的な正義感を振りかざす連中も、国際化したとは言えないだろう。

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