敷地内や施設各所から高濃度の放射線が観測された上に、プルトニウム同位体3種類も検出された福島第一原子力発電所。過酷な環境に置かれている施設内では職員、下請け会社社員、さらに警察、消防、自衛隊らによる放水など関係各人の努力が続けられているが、状況は一向に良くならない。
今回の事故、今のところ、作業中の下請け社員3名が比較的高い濃度で被爆したほか、作業関係者らが若干の被爆しているものの、重大な人的被害は出ていない。
しかし、この事故の影響は計り知れない。
原発立地に協力してきた地元は、町ごと移転を余儀なくされ、最悪の裏切りという結果になった。水資源、農産物、漁業への影響も大きい。
東京電力自体の経営も厳しくなる。すでに国有化の話も出ている。数兆円の損害になるのは間違いない。
市民の反発や不信により、各国の原子力政策はほぼすべてストップしたし、今後の原発推進の動きは内外共に大幅に後退するのは確実。国内各地では原発誘致運動の市民協議会が次々と解散し、海外では反原発を掲げる政党が躍進している。
地球温暖化防止のため、原子力推進に方針を変えていた各国政府は面目を失い、今回事態を悪化させた日本と言う国と政府、日本の技術へのイメージも悪化した。
原発を重要な輸出品目にしている大手メーカーへのダメージも大きい。
電力の供給不足は、公平とは言い難い計画停電によって、国民の不信感を増大させている。
企業の生産にも大きな影響が出ている。
原子力に対する不信感は、もはやごまかしの利かないレベルになった。太陽光やメタンなど日本でも膨大な代替エネルギーが開発可能である以上、あえて原子力を必要としなくてもいい風潮も出てくるだろう。世界は言うまでもない。信頼を回復するには相当な時間が必要になるし、下手すると、衰退し二度と戻ることはないかもしれない。
かつて、原子力は夢のエネルギー源だった。
核兵器に対し、電源開発としての原子力は、平和利用の代名詞だった。
そうなることを目指して、多くの人が研究開発に取り組んできた。
原子力を推進してきたのは、エネルギー源の乏しい日本における事情があったとしても、それを進めた政治家、官僚、直接担当した電力会社の役員や社員、原子力研究者らは、一度こういう事が起こると、これまでやってきたことすべてが瓦解してしまう、と言うことをもっと深刻に考えておくべきだった。
結果、彼らの目指したもの、夢、思想、人生をかけてきたことが、すべて台無しになってしまったのだから。
原発に関しては、これまでも何度となく、小規模の事故が繰り返されてきた。そのたびに、電力会社はそれを隠蔽しようとした。その集大成のようなのが今回の事故だ。
責任を取らされるのを恐れたのかよくわからないが、結局の所、事故と隠蔽の度に、自分の首を絞めに絞め続けて、夢を殺すことになったと言ってもいい。
現場や研究でがんばってきた技術者の中には、憤懣やるかたない人も多いのでは。
今回の事故は、きっかけこそ巨大な地震によるものだが、大津波の想定は事前に学者が指摘していたのを東電側が無視していたことが判明しているし、事故の経過を見ても人的ミスや、対応が後手後手に回っていると言える。天災でも想定外でもなく、人的事故だ。
核分裂型の原子力発電は、知識と技術においては、コントロール可能なシステムだけれども、それを運用する人間の行動原理と個々人の責任においては、非常に手に余るシステムでもあったとあらためてわかった。
人間は前を向いて歩く生物。
失敗を恐れていては、なんにもなす事は出来ないし、それは人間の本質から外れる。
しかし、失敗した時の影響の大きさは常に考えて、その対応策を事前にしておくのも大事なこと。
そうでないと、失敗した時、いまあるものだけでなく、未来への道まで失われることになるのだから。

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