第一次世界大戦で崩壊するまでヨーロッパに大きな影響力を持っていたオーストリア・ハンガリー帝国の支配者ハプスブルグ家の最後の皇太子、オットー・フォン・ハプスブルグが7月4日に亡くなり、オーストリア政府による葬儀が行われた。98歳と高齢だった。
皇太子だった、と言っても、皇太子として何かをなすような年令になる前に帝国は崩壊している。国外に出て暮らした。
むしろ彼が行動するのはその後だったと言える。
ナチスが台頭して、オーストリアを併合すると、抵抗軍を組織し(しかし失敗)、大戦後のオーストリア共和国樹立に抵抗し(しかし失敗)、さらに冷戦末期の1989年には、東ドイツ市民のハンガリーからの国外脱出を手助けし、東欧革命のきっかけをつくった。
彼自身は、中世時代のような帝国によるヨーロッパ統一を夢見、欧州議会に属し、影響力を持っていたが、それゆえに、古臭い思想の持ち主とも思われていた。
一方で、息子カールの結婚では、相手の身分にこだわらず、貴賤結婚をなくすなど、現代的なところもある(お嫁さんは男爵家の出身だが、旧帝国時代では男爵でも低い階級で、低い出自の妻やその子供には皇帝家が持つ諸権利が与えられなかった)。
また、当初は経済組織だったEUが政治・通貨・軍事的にも統一的な組織になってくると、ヨーロッパ統一という部分だけは、人々に注目を受けるようになった。
この複雑な時代に、単純明快な古きよきヨーロッパを体現する彼は、意外に支持者も多く、そのためか、今回の葬儀にも大勢の人が駆けつけている。もっとも、中世のよい部分だけを見ているようなものではあるが。
家督は息子カールに譲り、カールも政治家として活動している。
ハプスブルグ家は、各国の王侯貴族と姻戚関係にあるため、かなりの影響力を持っている。
現在の民主主義や、自由経済が、人々を支えられず、人々の希望に沿わなくなれば、また違った形で「帝国」が出現することもあると思うが、よっぽどの何かがない限り、しばらくの間、ヨーロッパは緩やかな連合体制で進むと思われる。

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