第三極といえば聞こえはいいけど、くっつくだのくっつかないだので大騒ぎになって、何をしたいのか全くわからない政党がたくさん出てきた衆議院選挙。
そんな多くのにわか政党が、口をそろえて言うのが、
「脱原発、反消費税、反TPP」
いずれも原発事故、生活への影響、農業の危機という現実問題があるので、反対するのも理由がないわけではないから、反対すること自体がイカン、というわけではないが、
反対を口にすればいいというものでもない。
中止してハイ終わり、と済ませられるようなことではないから、原発も、消費税も、TPPも論議になるわけで、
やめるからには、その前に、代わりになる方策を考えなければならない。
エネルギーが確保できるなら原発である必要はないし、財源が確保できるのであれば消費税は上げる必要がないし、海外輸出が好調であればTPPにこだわる必要はないのだから、その方法をどうするかを示してから、反対すべきだろう。
ただこう言えば、票が入るだろう的な程度の話だったら、主張していることなど100年たっても実現しない。
原発も消費税もTPPもやめたければ、相応の現実的な具体案を示すことだ。
ところで、
脱原発というふうに表現して攻撃性を和らげてはいるが、基本は「反原発」の動きがこれだけ賑わしている一方で、
真逆な主張が出てきているところも今回の選挙の特徴。
真逆、といっても、エネルギー問題での原発云々のことではなく、
核兵器
のことだ。
候補者皆が皆、というわけではないが、石原慎太郎や橋下徹は核兵器に関する発言もしている。
石原慎太郎は前から核保有を論議せよ、と主張しているわけだが、
橋下徹も、非核三原則について、踏み込んだ発言をしている。
ただし、この両者、微妙に主張が異なる。
石原慎太郎の場合は、核抑止力、というより、強い日本、っていう感覚で、核保有を主張しているわけだが、
橋下徹の場合は、現実問題として、核保有国(特にアメリカ)が主導権を握っている以上、理想論や概念論として反核を言っても限界がある、核の持ち込みなどは止めようがない、というニュアンスだ。アメリカに安全保障を依存しているという意味もあるだろう。
原子力に批判が噴出しているこの時期によく言えるな、という気もしないでもないが、自治体の首長は大統領制的なところがあるため、主張がはっきりしている。既存の国政政治家に対抗する意味でも、遠慮がないのだろう。変にタブー視して見ないようにするより、きちんと論議したほうがマシ、というわけだ。
意外にも核保有には、賛成する意見は多い。
言うまでもなく、領土問題がある。特に中国は核保有国な上に、周辺への軍事進出と拡大を続けている。
かつて平和主義の代表のように見られてきた、左翼や、左派政治家、自称文化人の左派系の作家などは、これまで主張してきた思想や、自己批判なる名分で日本を批判してきたこと、冷戦に端を発する「米ソ対立」の国際情勢の感覚から脱却できない、といった心理的理由で、中国を新たな帝国主義、覇権主義国家と認めることができない。
彼らの主張が力を失っていく一方で、右派もなかなか台頭しない。政治思想のバランス感覚ということよりも、政治家も国民も、こういう最近経験していないリアルな領土問題にどうしていいかわからず、見て見ぬふりするところがあるのだろう。
しかし、国民の中には、中国への不安と不信感が強まっている。
特に若い世代は、弱くなった「日本」で育ち、国際情勢における地位の低下からも失敗に終わったと見える平和教育への反発もあるから、核保有は、強い日本、というアイデンティティをくすぐるので、賛成しやすいかもしれない。
核保有の問題は、核兵器をどう捉えるかにもよる。
核攻撃を受けた経験があり、放射線の問題がリアルで、反戦思想が根強い日本では、核兵器は、特殊で忌まわしき「悪魔的なモノ」だが、核保有国の考えでは、核兵器は特殊な要素はあるものの、基本的には強力な「兵器」の感覚が強い。戦車や空母などの軍事力の延長線上でしか無い。保有に心理的抵抗があまりないということだ。日本も徐々にそういう世代が育ってくるはずだ。
核兵器の保有の前提は、核抑止力だ。強力な兵器といっても、核保有国の市民だって、核兵器が全面的に使用されたら、「人類は終わり」、ということは理屈の上ではわかっている。部分的に使用しても大変なことになるのもわかりきった話だ。
わかっているからこそ、お互いに核兵器をちらつかせれば、核兵器で攻撃はできないだろう、という核抑止力が出てくる。ただ、これは通常兵器による軍事侵攻にまで抑止効果があるのかは意見がわかれるのではないだろうか。放射性物質をばらまく意味でたちの悪い核兵器は、それゆえに実戦で使いにくいため、除外もしやすい。戦争当事国同士が合意さえすれば、「核兵器のみ使用禁止」という戦時協定を結んで通常兵器で攻撃し合う、ということもありうる。
また、核戦略の歴史上では、抑止力があるが故に、「抑止力を無効にする方法」も考えられてきた。
潜水艦に搭載して敵国の近海から反撃の余裕を与えずに攻撃をする、核兵器を小型化しレーダーに捉えられにくい巡航ミサイルに搭載して攻撃する、レーザー砲で迎撃する、高高度核爆発によって発生する電磁パルスや放射線で敵の核弾頭を無力化する、エトセトラ……。
それらの方法に対しても対抗策がねられるなど、きりがない。
核兵器を使用した場合の問題も検討する必要がある。
抑止力が前提とは言っても、保有するのであれば、使用も検討項目だ。
ひとつは、核兵器使用時の、核兵器を使用される可能性。核兵器を使用したのだから、その国には核兵器で制裁を加えても良い、という抑止力を裏返した、タブー解禁につながる危険性もある。
もうひとつは、環境への影響だ。全面核戦争は置いておくとしても、現在日本が核兵器を持って抑止効果を期待するとしたら、その多くは、中国と北朝鮮に対して、ということになる。困ったことに、それらの国は日本の西方にあり、北半球では西から東へ気流が動くため、敵から核攻撃を受けず、こちらが核攻撃をした場合でも、放射性物質による汚染は日本に流れてくる。逆に中国や北朝鮮はそのリスクが低い。そこまで理解し、覚悟の上なのかは、核保有で検討すべき要項の一つになる。
そして、核兵器の開発と維持管理には、莫大なコストがかかる。技術的には日本なら開発はさほど難しくはないと思う。しかし、原爆は言うまでもなく、核融合兵器の水爆も、基本的には核分裂を起爆装置にしているから、安定性を欠く核物質の効果を維持安定させるのが大変だ。耐用年数のサイクルはそれほど長くはないとも言う。そうなると生産コストも上がるし、また安全に保管するための費用もかかる。核ミサイルサイロ施設の用地確保とその秘匿、航空機搭載なら保管航空基地の確保と防衛が、艦船搭載なら専用の港湾と艦船の開発も必要になる。
核保有は言うほど簡単ではない。
それなりに経済力を維持し国土も広いアメリカでも負担は大きいのに、今の日本にそれだけの余裕が有るだろうか。また、核兵器開発によって軍事経済が社会に還元する要素もさほど多くはない。国土と経済規模が似ているイギリスが参考になるだろうとは思うが、そうそう簡単には教えてはもらえまい。
コストを気にして国が滅びちゃ意味が無い、という反論もあるが、よりコストを抑えて確実な軍事力による抑止力も検討すべき課題だろう。
石原慎太郎をはじめ、核保有論者は、核兵器、という発想しか見えなくなっているようにも思える。皮肉なことに核保有論者も反核団体同様に、核兵器を特別視しているところがある。核兵器はなんでも可能な万能兵器ではない。非現実的な平和主義はともかく、現実的に安全保障を考えるのであれば、核兵器以外の選択肢も多々ある。
逆に核兵器に予算を回しすぎて、他の国防費が削られ、結局、海上権益や離島の領有権を失うといった事になっては意味が無い。そういったことにいちいち核兵器は使えないし、核抑止力がそれらにまで効果を持つとも思えない。
核保有国も、実のところ、核兵器だけを開発しているわけではない。むしろ、核兵器は減らしつつ、それ以外の軍事技術の開発に予算を投じている。
残酷なようだが、戦争は人の殺し合いの大規模化したもの。
そのため、味方を極力殺さず、自国に被害を与えず、軍事費を抑えつつ、最大限、敵を殺せるかどうか、ということが鍵になる。
そのためには、敵より強力な兵器、敵より優位な地理的位置、敵より安定した補給、敵より豊かな資源、敵より強大な経済力、敵より優秀な人材、そしてそれらをうまくコントロールできる政府が必要になる。
味方の損失を抑えるロボット兵器、攻撃防御で優秀な光学兵器、軍事・経済を支える電子ネットワークを舞台にした電子兵器、地理的優位性のある宇宙兵器とおおまかに言うとSFっぽくなるが、実際にはこれらの開発にもっと金とエネルギーを注ぐほうが現実的と思われる。
中でももっとも大きな役割は、経済だろう。経済で相手を抑えれば、戦争での被害を極力回避できる。
経済、軍事、外交はそれぞれに補完しあう。経済力が軍事力を支え、軍事力が外交に力を与え、外交で安全保障を確立すれば経済はさらに発展する。単純化すればそういう方向性の方がいい。
核保有の論議をあらためてすることも、核兵器がどういうものかを理解するのにはいいと思うが、正直、この兵器に関しては、その登場した時のような安全保障面での目新しい効果が期待できるわけじゃない。核保有国では概ねその効果の是非についての結論は出ているように思える。国民を犠牲にしてまで新たな核保有国をめざす独裁後進国を、日本があえて真似なくても、他でいくらでもやりようがある。
まず経済の立て直しを論議するほうが、ずっと意味があるのではないか。

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