まずこれが問題になっている前提は、主に、女性のほうが姓を変える、ということがある。逆だったらさほど問題にはなってないのでは。
いわゆる女性差別の意味合いを含んでいるということになる。
ただ、女性がすべてそう思っているかどうかは別の話。
もともと別姓には、戸籍、という考え方の違いもある。
戸籍というのは、今の日本では役所に登録している名簿のようなものだが、本来は、個々の「家」を登録したもの。この戸籍という発想は中国の影響を受けた東アジアでは普通だが、キリスト教の影響が強いヨーロッパには非常に乏しい。
ヨーロッパでは姓が普及したのが遅く、姓が出来た時点でもそれは、個人を区別する意味合いから発達してきた。
というのも、キリスト教社会では、出生後に受ける洗礼で個人名が決まっていた。家単位ではなく、教会と個人の関係で成り立つ。家名を意味する姓の方は無かったり、一部階層だけのところも多かった。キリスト教が普及した時代があとになるほど、その傾向は強いように思える。
その名前も、主に教会が認めた聖人などの名前を由来にしているか、伝統的な英雄名から付ける傾向が古くから強いため、似たような名前の人が多い、ということがあった。それで、その個人の出身に関わる固有の姓を便宜上くっつけたのが制度化している。そのため、誰々の子、という意味の姓がやたらに多い。ジョンソンはジョンの子、アンデルセンはアンドレの子、マクドナルドはドナルドの子、オルブライトはルブライトの子、ゴンザレスはゴンサロの子、メンデルスゾーンはメンデルの子、イワノフもイワノビッチもイワンの子、とみな子供を意味する姓であり、本来は呼び名だったものが姓と化している。
「娘姓」もある。元々はたくさんあったようだが、今残ってるのではアイスランドの「〜ドッティル」姓など。元々は娘を意味している。
ユダヤ系などにはアダ名や屋号が姓となり家名となった例もある。
スペインのように一番目の姓がお父さんの一番目の姓、二番目の姓がお母さんの一番目の姓としてくっつけるため、めったやたらと長い名前の人が大勢いる。このため、普通は省略した呼び名を使うし、結婚しても姓を変えることはない。
これらの場合、その個人がどういう両親のもとに生まれたかの系図を表しているようなものだ。
家族制度はあっても、名前に関しては、教会が個人個人につけていた世界では、姓は本来は便宜的なものであるため、夫婦であっても、別姓にあまり違和感がないだろう。
エジプトなどのイスラム圏の一部にも、個人名が強く、家名が便宜的なところが結構ある。父親や爺さんの個人名を仮に姓としている。これもちょっとした家系図っぽい。
一方、家を単位とする戸籍という考え方が古くからある中国や韓国などの夫婦別姓は、儒教の影響で女性を低く扱ったものとも言える。日本も明治の民法典以前は夫婦別姓だった。系図には、女性の名前すら記されておらず、ただ誰々の女(むすめ)と出身家の親子関係が付記されているのみ。日本ではまだしも歴史上の人物でも女性の名が伝わっている例が多いが、中国や朝鮮では殆ど無い。
そんな扱いだから、男性の家に女性を嫁として迎えても、その嫁に男性の家名を名乗らせなかった。
そういう時代から見ると、夫婦同姓のほうがより平等扱いと言えなくもない。
ただ、日本の場合の明治民法典制定は、平等とかは関係なく、統治のためだった。そのため、家に組み込むことで、女性は夫と子に仕えよ、というシステムになり、差別はより進んだといえる。社会としては、戦国期や幕末維新期など別姓時代でも女性に自由の強かった時代もある。
もっと言えば、そもそも姓も氏も、本来は、現在の名字ではなく、朝廷から認められる地位を表すのが姓、先祖を共有する一族の名が氏であり、姓と氏は途中からくっつき、朝廷が認めた一族の名のようになったが、それでは同じ姓の人が大勢でてしまう。そこで、公家は住んでいるところなどから、武家は支配する土地や先祖の職名などから、名字が出来た。藤原姓で近衛だの九条だの鷹司だのがあり、徳川氏が源姓、織田氏が平姓、羽柴氏が豊臣姓などを公式の時に使ったのはそのためだ。
明治になって、姓と氏と名字がくっついて、現在の姓(氏)になっている。
アジアでも、モンゴルや東南アジアなどには、姓が無いところもある。ここらへんも、便宜的に姓の代わりになる名称を登録するが、大抵は父祖の名をくっつけていることが多い。
洋の東西の歴史で姓という考え方が決まっているので、今の男女平等という理屈だけで夫婦同姓がダメで別姓が正しいというのはちょっと見当違いといえる。そもそも結婚を機に姓を変えることを差別と捉えている人は今のところ少ないだろう。
ただ、先々で、社会の変化によっては、どの方向にも大きく変化することはありうる。歴史的に姓名の考え方が大きく変化したように。

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