ブータンで政権交代があった。
ブータンは宗教国家から近代に入って絶対君主制となったが、近年憲法を制定して立憲君主制に移行し、国王定年制や、国王信任不信任の権利を政府議会が持つようになった。
この国は1972年に、時の国王によって、国民総幸福量という指標が出され、精神的な豊かさを図るものとして国民調査が行われてきた。
この指標は豊かさを量る一つの考え方ではあるが、これが伝わると、日本の知識人は、物質文明を批判し、貧しくとも心の豊かな国、みたいな話に持っていった。日本の服にもどこか似ている民族衣装をまとい、車や電化製品といったものは少なく、昔ながらの生活をし、自然が豊かで、農業を主体としたイメージがある。
だがそれは、物質文明と精神文明を相反する対極においてわかりやすくした理屈でもって、勝手に創りだした幻想でしか無い。
ブータンは若干の資源と豊富な水力による発電が主産業だが、工業力は乏しく、農業国というわけでもなく、むしろ農業生産力は非常に低かった。それを農業技術の導入と品種改良によって生産量を増やしたのが、日本の農業指導者、西岡京治。彼は海外技術協力事業団のメンバーとして夫人とともにブータンで指導にあたり、ブータンで亡くなったが、生前、外国人で唯一、最高位の称号である「ダショー」を与えられ、死後、ブータン王室によって国葬が執り行われた。昔ながらの牧歌的な農業社会、ではなく、現代農業科学と技術でもって、同国を豊かにしようとし、それを評価されたのである。
それでも、主要な産業の乏しいブータンでは、いまだに貧困層は同国国民の一定の割合を占めており、若者の失業率も高い。そのために薬物依存問題もあると言われている。
また、チベット系とネパール系の民族紛争もあるし、毛沢東主義派のゲリラの侵入もしばしばあるため、南部は治安があまり良くない。
一方、北部では最近中国によって国境線がずらされ、領土が大きく削られてしまい、中国人民軍が越境侵入する出来事も頻発している。そのこともあって、インドと中国の国境問題にも発展している東部では人の立ち入りが制限されており、皮肉にもそのために、僅かな標本しか残っていなかった幻の蝶「ブータンシボリアゲハ」が多数生息していることが日本の調査隊によって判明し、国蝶となった。
今回の政権交代は、中国よりの政策を進めた前政権に対する反発もあったと言われている。
理想郷どころか、生々しい国際問題、社会問題がブータンにのしかかっている。
同国はなにも、科学技術を否定しているわけではなく、携帯電話もあれば、首都ティンプーにはショッピングモールもある。
現実は、世界のどこにでもある国の一つだ。知識人たちが、非現実的な理想で飾り立てたような国ではない。
その反動からか、今度は、幸福の国もいまやこうなった、のような記事が紙面を飾ったりするようになる。勝手に理想化して、勝手に貶めているのである。
どこにでもある国だからこそ、一方では、ごく当たり前の思いやりも存在する。
東日本大震災の時は、すぐに国王主催で供養祭が行われ、決して豊かでないにもかかわらず、100万ドルの義援金を出し、結婚したばかりの国王夫妻の初外遊に、日本を訪れ、被災地を見舞った。非常に立派なことで、感謝しきれないほどだが、同時に困ってる人に手を差し伸べる行為は、本来人間にとって当たり前の行動であったはず。日本国内でも同じように助けの手を差し伸べた人は大勢いたし、台湾など多くの諸外国も同様だった。それを堂々と行えるところが、ブータンをして「幸福の国」なのだ。
一方で、国内外に、それが出来ない一部の国や、人の不幸を喜ぶ人もあった。ある意味それと同じ土壌の人達が、自らを飾るために、妙な物質文明批判と結びつけて、ブータンをありえない理想の国に見立てて、「それを理解している立派な自分」だと見せびらかしているのだろう。
ブータンだって、当然物質的に豊かになって良いし、そうなっても、良いところは残っていくだろう。本来人間とはそういう生き物なので、人種も宗教も関係なく、そこは共通しているのだから。

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