JR北海道に続いて、JR四国でも、施設・設備の修繕などをせずにほったらかしにしている問題が発覚した。
北海道では、レール幅が広がっているのにそのままにしておいた結果、貨物列車が脱線した。過去には貨物の脱線が大事故になった例もあるし、北海道の今回の場合、本線でもレール幅を放置していた事例がかなり見つかっている。それを認めて謝罪する会見のさなかに、車両から煙が出て騒ぎになっているというニュースが飛び込んで、ますます恥をかいてしまったJR北海道。
予算不足で手が回らない、国鉄時代末期からのルール変更の問題など、問題の背景を指摘する意見もあるが、結局のところは、そこで働いている人の認識の問題に帰結してしまう。脱線するかもしれないとわかっていて放置してしまうというのは尋常じゃない。あるいは脱線するとわからなかったものか。
だけど、こういう問題は、大概、その職場環境内での狭い認識しかないことに要因があると思う。現場作業員がいくら問題を見つけても、上が取り上げない、とか、余計なことを言ったら後で査定に響くとか、上司や同僚から変な目で見られるとか、縦割りで情報が共有されないことを問題とも思わないようなことは、その組織内での視野しか無いからだ。でもこれは、どの職場でもある。
自分の仕事のことにしか視野がないために、世間からは「なんでそんなことにそこまで」と笑われそうなことに必死になっていたり、逆に手を抜いて、世間からは「そんな重大問題をそんな程度?」と呆れられる状況が起こったりする。
役所や企業の起こす不祥事、個人的なものも含めた事件・事故の多くは、当事者の視野の狭さに大きな要因がある。詐欺事件などは被害者も視野が狭かったり情報が不足しているがゆえに引っかかることがある。
ある官僚がブログで、震災の復興政策を必要ない、などと政治家批判と絡めて書き、問題になっている。以前にも似たような騒ぎが起きたが、こういうのも、予算とか、執行の手続きとかの仕事をし、政治家を馬鹿にしている省庁の組織内だけの視野しか無いからそういう認識になる。世間一般だったら、震災がどれほどの被害で、どれだけ多くの人が苦しんでいるか、だれでも知っているが、それがわからない。自分の知っている範囲の世界で、自分の理屈を正しいと思い込んで、それを世間に示したら、さぞ評価されるだろうと勘違いする。しかし世間は自分の認識範囲よりも広く、情報も複雑で、自分の考えがマイノリティでしかない可能性に気づいていない。
似たようなのが、最近多い、コンビニとか、レストランとかでの、バイトらのする馬鹿な行動。冷蔵庫に潜り込んだ写真とか、食材を台無しにしている写真をTwitterに投稿して書き込んで、ネット世界のユーザーからも、バカッターだとかバカ発見器とか言われたりバカにされているが、あれも、バイト先と友人の視野だけの認識でいるから起こる。うちわの仲間に見せたらウケるだろうなどと思って投稿し、それを拡散している奴がいると逆ギレし、ここまでは自分の知る狭い世界の認識から抜けていない。ところが、社会の自分に対する恐るべき大量の批判を知り、それで取り返しの付かない段階になってると気づいて青くなって謝罪してももはや手遅れだ。家族もろともエライ額の倍賞を請求されたり、リアルにダメージを受ける事態となる。
この夏ヒットしたドラマ「半沢直樹」は、銀行マン出身の池井戸潤が書いた小説を元にドラマ仕立てにしたものだが、銀行や金融庁などの内輪ネタが、世間とギャップがあるところもウケた要素と言われている。小説やドラマで強調したところはあるにせよ、実際ああいう話があるというから、それもあの世界だけの視野の狭さから生まれる出来事といえる。世間的に立派なように見える業界でも、それとは別の角度で見ると、何だそれ、というような珍妙なことをしていることは多い。政治の世界、司法の世界、学界、マスコミ界などもそうだ。
これらのことに共通しているのは、当事者が、人間という生物だということ。人間は、社会性生物だから、個体の単位では、社会に依存していないと生きて行けず、それ故、所属する社会に対する認識が特に強いし、その枠から外れることを恐れる。枠組みにこだわらず、人類社会全体を渡り歩けるツワモノはそうそういない。その視野の狭さが、時には新た物を生み出すこともできるが、バカなこともしてしまう要因なのだ。
日常体験している職場や学校やサークルや趣味の人間関係の中の視野から、一歩引いて、その外側に広がる世界を見ることで、外の世界と自分とのギャップを知ることができれば、自身にとってもその所属する世界にとってもいいことなのではないかと思う。

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