「記録に残る」と「記憶に残る」はよくスポーツ競技で対比的に使われる言葉。誰彼なく使うと安易に聞こえるが、真にそういう場面に遭遇すると他に表現のしようがない重みを増す言葉でもある。
今回の浅田真央選手はまさにそういう言葉で表現される内容だったかもしれない。
ショートプログラムでのミスから16位と出遅れたことに対し、ツイッターやフェイスブック、ネット上で世界中から応援のメッセージが表明されたが、フリーではノーミスの完ぺきな演技で最終的に6位にあがった。金メダルのソトニコワや銀のキム・ヨナよりも良かったとされるが点数で二人の下になったことに海外からも疑問の声が出るほど。
点数に関しては以前からしばしば出てくる問題だけど、その問題すら霞んでしまうほどの凄さがフリーの浅田真央選手の演技だった。彼女が賞賛されたのは、前夜のミスというさらなる重圧の中で自分の演技を見事にこなしたこと。
ショートでの失敗の後、「肝心な時にダメ」「メンタルが弱い」と言った言葉がメディアや日常会話でもあちこちで聞かれた。なかでも森元首相の同様の発言が物議をかもしたが、これは報道で発言の一部だけを切り抜くというマスコミ関係者の卑怯な常套手段の影響もあったものの、森元首相が、メンタルの点で彼女を低く見ていたのは事実だろう(彼はアイスダンスのキャシー・リード、クリス・リード選手への批判やパラリンピック軽視とも取れる発言もしている)。
批判の大きさはそれだけ期待が大きかった、ということもある。自分にできないことを見せてくれる期待への反動が、叶わなかった時の不満や怒りに変わるということだろうか。
だが、失敗を見てそれで結論付けるのは、人の生きざまの一部しか見ていないこと。
また、超難易度の技術を競い合って国を代表して世界のトップを目指すそのストレスの大きさを、世間ではまだ社会人一年生程度の23歳の女性が背負っているのだから、彼女のもたらす世間への影響も結果も努力にも、はるかに届かない人々が、偉そうに、特に彼女のメンタルを云々と批評することに、恥ずかしさを覚えないのだろうか、という点もある。
そして、フリーでの完ぺきな演技。
内外のスケーター、メダリスト、各種スポーツ選手、識者や芸能人、一般市民、常日頃反日でうるさい中国市民からも賞賛の声が上がっている。特に厳しい競争の中で頂点を目指す、あるいは目指した人々に共感の声が大きいようだ。
なぜか。
彼女が普通の人では経験できない大きな挫折を世界中の人の見ている前で味わったにも関わらず、また立ち上がって自分の出来る全てをかけようとし、見事に成し遂げた、その前に向かって進む生き様を見たからだ。
メンタルが弱い、などということはない。むしろ強靭だ。
競技上の順位は6位だったが、もっとも世界中の人々を惹きつけたのは間違いなく浅田真央選手。演技は言うまでもないが、それ以上に人とは何か、スポーツとは何か、それを体現した彼女は、色々批判もでる「オリンピック」の精神を守ったといえるかもしれない。

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