朝日新聞が、言論史上に残る愚行をしてしまった。
現在の韓国の主張の論拠でもある同紙の従軍慰安婦記事について事実上虚偽であったと認めたことについて、池上彰が朝日新聞に掲載中のコラムに批判的文章を書いたところ、朝日新聞は掲載を拒否した。池上氏はそれを受けて掲載をやめると主張し、それがネットや週刊誌で取り上げられた。
基本、政治家などが自分を批判する言論を封じることを、マスコミはもっとも蔑み批判する。
それを朝日新聞は自らやってのけたのだ。一部の人達にとっては、よもや、まさかの世界。
逆説的ながら、お見事、と言わざるをえない。このニュースを見てちょっと快哉を上げそうになった。思ったとおりやってくれました、という感じ。
さすが朝日新聞、他人に対しては事実と違う内容まであげつらっていくらでも悪しざまに攻撃するが、自分が攻撃されることに対しては、ここまで拒絶する。朝日クオリティとか新しい単語が出てきそう。ビール会社がいい迷惑を被りそうだ。
いや、実は一般市民の多くは、内心、朝日新聞のご高説なところを胡散臭く思っていたのではないか。中途半端な知識人ほど箔をつけようと朝日朝日天声人語と持ち上げていたが、もっともサイテーなことをしてくれたおかげで、ショックも大きいだろう(と思いたい)。
実際、ツイッターで意見を書いている朝日新聞社員の多くも、これには軒並み批判的な文章を書き込んだ。中には自社への批判を書いたら査定に響く事を気にするツイートをしたものもいるが、朝日新聞の記者としては衝撃的だろう、自分たちが言論の自由を盾に批判してきたことを、まさか自分の会社がしたのだから。
もっとも、記者さんたちの意見の中には、「きちんとした批判に対しては」と言った感じで条件をつけているものもいて、池上氏のコラムを拒否したことには批判するものの、文春や新潮の広告見出しについては掲載拒否や黒く塗りつぶすことに批判的な意見は見られない。
人気の高い池上氏の、「まともなご意見」に対しては謙虚に受け止める、というスタンスを取って、記者さんたちの脳内での朝日批判への不満と言論の自由とのバランスを取ろうとしているのだろう。
そもそもの従軍慰安婦記事について、今頃になってようやく誤りを認めたのは、朝日新聞の記者らが、目を背けてきたからとも言える。池上氏曰くじゃないけど、「遅きに失した」わけだ。
新聞社は多かれ少なかれ、偏った記事を描く。あるいは偏った読者の声を取り上げる。記者は人間であり、完全に冷静で客観的な人間などいないから、自分寄りの方へ偏るのは当然だろう。思想や立場のスタンスもそれぞれある。しかし、それで他者の意見を封じてしまったら、同時に自分の主張を他者に通す資格を失ったも同じ。そもそもプロのマスコミ人なら、自分の欲望や感情や思想を抑えてでも、客観的に徹し、たとえ自分への批判であっても、報道しなければならない。自分との戦いのはず。
それが力任せに、気に入らない他人の意見を封殺するのであれば、程度の悪い独裁者と同じだ。誰もが、朝日新聞関係者のメンタリティがお粗末と思ってしまう。
韓国が産経新聞の記事を取り上げて起訴しようとしているのと何ら変わらない。
案外、朝日の記者さんの中には、韓国政府が言論の自由を捨ててまで産経新聞を叩いているのを喜んでいたものもいたのではないか。
大本営発表、北朝鮮帰還事業、サンゴ落書き事件、従軍慰安婦記事、時代時代の「正義」に乗っかってごりっぱな主張をした結果、禍根を残している朝日新聞。実は今に始まったことじゃない。その本質は、世のため、社会のため、人民のため、ではなく、自分こそ、そこら辺の市民よりも立派な人間だとアピールしたい記者らの本能が集まって朝日新聞社という組織が出来ているからだろう。
マスコミ関係者だから優秀で公正高潔な人間かというとそうでもない。逆に新聞業界の世界しか知らず、社会経験もあまりないため、記者側からの一方的な思考しか働かない偏狭な人が多いのかもしれない。

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