衆議院議員選挙が進んでいる。唐突に始まった感の強い、今回の選挙。
与党圧勝の予想も報道されているが、選挙は有権者全員の意思によるので、最終的にどうなるかはわからない。
が、ある程度の範囲で予測はつく。
いつものこと、というのも情けない話だけど、
与党が具体的な政策を主張し、あるいは政策の結果をネタに運動しているのに対し、
野党は全般的に、具体性がなく曖昧。
野党は異口同音に、アベノミクス批判を繰り返しているが、アベノミクス、というのは所詮単語であって、問題は具体的なその中身、その途中の結果、である。恩恵はまだ末端にまでは行き渡っていないので、具体的にどの部分で、景気浮揚の効果が到達していないのか、その現実を詳細に解き、そしてどう対策を取るべきなのか説明しないと、投票権を持つ市民にはリアリティがない。
共産党は、安倍政権の暴走を止め、という言葉をよく使うが、暴走、とはなにを指しているのか。正直、国民の多くに、暴走しているという感覚はない。自分たちの感情を露わにしても、相手に通じなければ何にも届かない。また共産党はその共産主義からか、大企業を攻撃し、税などの負担を重くせよ、と主張するが、この「大企業」とは、なにを指しているのか。法人なのか、経営者のことなのか、そこが曖昧だ。大企業には多くの人が雇用されており、系列や取引先には膨大な数の中小企業がある。そこにも多数の従業員が働いている。彼らはみな、大企業に依存して生活している。大企業を敵視して税負担を重くし、あるいは規制をかけて国際競争に敗れ経営危機にでもすれば、共産主義者は満足かもしれないが、多くの人を路頭に迷わせる結果になる。
反原発を唱える社民党などにしても、批判だけで具体性がない上に、代替エネルギーについても、自然エネルギーの普及を、としか言わない。
具体的にどのようなエネルギー源を使い、その実現のために、どう予算を組み、財源はどこから持ってきて、どのように普及させるのかの説明がない。たとえば、九州電力が、買取制度をストップさせて、大きな問題になったが、反原発派は原発推進派の陰謀のような言い方をするけども、長期間貯めることができない電力を輸送し、調整し、末端の家庭や事業所まで供給するためのインフラがなければ、発電所だけ作ってもどうにもならない。たぶん、専門家は早くからこの問題に気づいていたはず。説明をせずにほっておいた九州電力も問題だが、ソーラーパネルを並べれば儲かる、と安易に考えて乗り出した事業者にも問題がある。これは反原発派も同じだ。原発問題も含め、電力の問題は、技術的な課題が大きいが、反原発派にはその部分がごっそり抜け落ちている。感情的になっている人間に冷静な技術面の問題を検討するのはムリだろうけど。
他にも安全保障から、経済・金融政策まで、幅広い分野で、具体的になにをしなければならないかが、野党にはない。題名だけを並べたようなマニフェストをいくら発表しても、市民にはそれが現実的にこうだというビジョンに結びつかない。
まずそこからだろう。
野党も本当は支持されることのない曖昧なものいいでいることをわかっているのではないのか。結局は、政権の責任を取る気がなく、無責任に正義を振りかざして自分だけがいい気持ちになれる自慰政党になろうとしているだけではないのか。そんな疑問すら浮かぶ。
それに対し政権は、政策の結果を示せる。アベノミクスの効果がすべての国民に行き渡っていなくても、ここまでは成果が上がってますよ、これを続ければまだ恩恵のない人にもこれからありますよ、ということが主張できるし、具体性があるから、給料が上がるとか、具体的なビジョンが見える。それが本当に現実になるかどうかはわからないが、そもそも現実性を論じない野党よりは、リアリティがある。
しかし、疑問を感じる人も多い。現に恩恵を受けてない人々には今の与党の政策には不満もある。正直言えば、与党には投票したくない、という人も多いだろうが、それに対する野党のリアリティのないマニフェストを見ると、野党にも投票できない。これじゃどこに投票しても同じだ、ということになり、選挙にも行かなくなる。
いくらタレントとか起用して、投票に行きましょう、などと宣伝したところで、返ってくるリアリティがなければ、投票に行く意味が無い。白票も無効なので抗議の意志も見せられない。政権や野党、候補者らが魅力なければ、投票率は上がらないのだ。
また、この関連でも言えることだが、一票の格差の問題も、現実離れしている。
弁護士とか一部の市民団体は、一票の格差のことを声高に叫ぶが、単に人口の頭割りで計算しただけの一票の格差は、現実と乖離している。
是正して人口比に基づいて選挙区の面積を変えても、それは実際に市民にもたらされる恩恵とは関係がない。
それどころか、地方に行くほど、恩恵はもたらされなくなる。人口比では、是正にはならない。
たとえば、人口の密集している都会では、人の住む範囲にまたがって複数の選挙区ができ、複数の政治家が出て、地域一帯に重複するように政策(予算)が反映される。人は選挙区の境界で別れて住んでいるわけじゃなく、境界線のない居住域に選挙区域が線引されているだけだからだ。周辺の選挙区の政治家の政策も自分のところで恩恵をうけることができるわけである。
逆に地方では、多数の自治体が入る広大なエリアでひとつの選挙区となり、出てくる政治家は一人しかいない。政策(予算)が反映されても、それはその広い地域では効果が薄れてしまい、恩恵を受けない人も出てくる。一県一選挙区、多県一選挙区ともなると、地方の声を国政に反映させる効果は無きに等しい。恩恵がなく、問題が残されてしまえば、過疎化は進み、地域経済を衰退させ、ひいては、安全保障面や、外国が狙う水資源、食料生産の面での影響が大きくなり、最後には都市部に住む住民にまで及ぶ。
家庭や個人が受ける恩恵を基準に考えれば、一票が持つ重みは、ある程度の偏重による調整が必要になってくると思う。地方によっても問題は異なってくるので、その面を地域ごとに考慮して、選挙区割を決めるべきだろう。これはかなり複雑な条件を精査し、あるいは地域住民の意見も反映させて検討しなければならない。
今の格差是正の主張はあまりにも問題を単純化していて、そのほうがわかりやすいが、国民の期待に沿っているとは言えない。
民主主義のシステムである選挙区の区割りが、一部の自称識者や政治家だけで非民主的に決められるようでは困る。
選挙になるといろいろ問題も見えてくるが、選挙がない時期には殆ど問題にならない。
すべての人の欲望に応えられるような政策は無理。しかし、あまりにもシンプルな今の選挙制度には、国民の意志が反映されていない要素が多々ある。色々改善する方法があると思う。
民主主義は、自分たちの未来を自分たちで決める方法であり、その責任も自分たちで背負う。
そのめんどくささが嫌なら、特定の権力者に委ねるのも手法の一つだろうが、その結果が自分に及んで失うものがあっても文句は言えない。
権利を主張するなら、する人すべてが考えてみなければいけないことだろう。完璧な解答は1万年後でもでないかもしれないが、時代や地域によってより良くする方法はあるはずだ。

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