ほかの道場の少年部の子が稽古に来た。
夏休みになってどこかへ出かけた子どもも沢山居て、稽古に来る子どもが少なくなっているが、こういうのも夏休みならでは、だろう。
私の知っている子だ。この子も私を知っているだろう。
お父さんお母さんも稽古をしている方なので、たぶん励まされて来たのだろうと思う。どちらかといえば、おとなし目の子だ。
技を示してお願いしますの挨拶のあと、何人か居るすぐに動き出さない子どもに『相手を見つけなさい』と指示すると、その子が
『相手を見つけるの、にがてなんだよなぁ』と困り顔でつぶやいた。
それを聞いた時、そうなのか、と思った。
すぐに動き出さない子どもは何人か居るが、そういう理由なのだ。
なんとなく分かってはいるつもりだったが、言葉で意識したのは初めてだった。
すぐに人と関われる子と、見えないハ−ドルを感じてしまう子、どうやって別れてくるのだろう。
ほとんどの子どもが相手を見つける頃、いつもまだ相手の決まらない子が必ず残る。そういう子は、すぐそばに相手の決まっていない子が居ても、声をかけない。いや多分かけられないのだろう。そんな時は声をかけられない者同士が残るので、ハ−ドルは2倍になっているのかもしれない。
人に声をかけるのがなんでもない事、になるためには、経験を重ねるしかないのだろうか。
そういう事がしやすくなる空気って、どんなのだろうか。

0