今年も色々有りました  いろいろ

今年も後数時間で終わりです。世間では色々と有りました。私にとっては政権交代が一番大きいことだった様に思えます。

私自身はといえば、9年ぶりに全く一人で仕事をした1年だったということが大きいものでした。昨年11月までアルバイトを含め数人の従業員が居たのですが、今は一人です。売り上げは当然下がりましたが、残るものは大分多くなりました。いかに無駄な人件費を使っていたかが身に浸みて分かりますね。

来年は更に出ていくものを少なくしようと考えたりもしています。世間の景気後退など自分には関係ないと逆らいたいのですが、一人では力不足です。嵐が過ぎるまで頭を下げていることにします。

それにつけても仕事に就けないでいる人の何と多いことか。でも少し考えるとおかしなことに気付きます。ハローワークではいつも求人情報が有ります。求人情報誌も、ページ数は少なくなっても廃刊にならず毎週出ています。私は、仕事を選ばなければ完全に失業ということは非常に少ないのではと考えてしまうのです。そもそもどの様な人が失業しているのかということを見てみると、職を選べることが少ないのでは等とも。

私もそうなのかも知れませんが、理想の場を求めるためにはやることが沢山有り、それを克服していかなければならないのでしょう。昔の人が良く言っていました、先に楽をするのか後から楽をするのかと。

何とか好きなことをやっていられる私は幸せ者です。これを続けられるように来年は苦労を先取りしながら進んでみようかなと思っています。

ちなみに、今夜から正月7日にかけて川崎大師にて露天営業です。

良いお年を。

大晦日
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鶴見川の夕焼け  紀行

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川崎の夕日もまんざらではないでしょう。川崎市幸区の鶴見川に面している場所から撮影しました。川の向こう側は横浜市鶴見区です。かつてアザラシのタマちゃんが泳ぎ付いた場所でも少し有名になった場所です。

この辺りは市制が施行されるまでは橘樹(たちばな)郡日吉村と呼ばれていました。鶴見川の支流である矢上川を挟んで、現在の横浜市港北区と川崎市幸区とに跨った村です。市境を定める際に、商業圏等も勘案して矢上川より西側は横浜市に、東側は川崎市に編入されました、かなり昔の話です。東急東横線日吉駅や慶応大学日吉キャンパス、日大日吉高校等は横浜市側に在り、一般に日吉と言うと横浜市の方が認識されてしまいます。

慶応大学のキャンパスは多摩丘陵の東端の丘の上に有り、子供の頃はそこを慶応山と呼んでいたものです。太平洋戦争中はその地下に連合艦隊の司令部が存在していました。そんなことも有って、子供だけで遊びに行くのは危険だと、止められていました。


川崎市側には行政区分では日吉の地名は無くなりましたが、今でもこの辺りを日吉地区と呼ぶことが多く、日吉小学校、日吉中学校、農協日吉支店等と名前が残っています。こちらの方には三菱重工の大工場(今でも操業しています)や日本一の貨物操車場が在ったため、空襲をかなり受けました。そのためか、高い木は殆ど有りません。

小学校低学年の時に移り住んで、私にとってここが出身地の様な所です。
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冬の晴れ日  いろいろ

以前勤めていた会社に山形県の酒田市出身の人がいました。昭和46年頃東京に来たそうです。

東京に来て最も驚いたのは、冬なのに洗濯物を外に干しているということだったそうです。当時酒田では今よりずっと降雪の量が多かったでしょうし、晴れ間はたまにしか無かったのでしょう。

今でこそ乾燥機が普及して、それを利用している人は多いと思いますが、冬に洗濯物を外に干すなんて考えられなかったと言っていました。雪国の人達からすれば何とも羨ましいことなのかも知れません。

でも関東の冬は乾燥が激しく、毎年カサカサ肌に悩ませれます。結構辛いことも有りますよ。

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