第33回 昇平丸
少しずつではありますが、寒くなってきてますね。冬はすぐそこという感じです。今日は゛読書の秋゛というわけでもないですが、本に所縁のある船を一隻・・・。

航行中の昇平丸
薩摩藩が建造した洋式軍艦
幕末、薩摩藩は琉球貿易を手掛け、当時、唯一の外国との玄関口の長崎に近いというのもあって、早くから、英国を中心とするヨーロッパ諸国が、アジアに進出し、日本も植民地化になる可能性ある事を考えていた薩摩藩主の島津斉彬は、家来に命じ、海防強化を目的に一隻の洋式軍艦の建造させたのが、昇平丸である。
昇平丸は、洋式帆船の見聞で建造した鳳凰丸(
http://navy.ap.teacup.com/kanzo/56.html)と違い、オランダの造船書を頼りに建造され、着工は鳳凰丸より早いのだが、竣工は鳳凰丸より8ヵ月遅れて、1年半の期間を費やして建造されている。しかし、他の洋式帆船もこれぐらいの建造期間で建造されている所を見ると鳳凰丸が尋常でない早さで建造された考えた方が良いと考えられます。本船は建造後、薩摩藩から幕府に所属を変え、輸送船として活躍し、明治2年(1869年)8月に明治政府に渡され、北海道開拓使で輸送に従事しましたが、明治3年(1870年)に高波に煽られ壊船しました。

昇平丸の艤装関係の資料
ファイヤーシップの資料が混ざってた!?
勝 海舟などは、本船を西洋の真似をしたということで、酷く酷評された本船だが、資料を見れば理解出来る通り、竜骨や助骨、外板の寸法まで書いてあって、本格的な西洋船だったという事は理解出来る。本船の大きさは、全長31m・幅7.3m・深さ4.3m、推定排水量は370tで、幕府軍艦鳳凰丸から見れば、一回り小さかったという事と考えられている。

昇平丸の大砲の砲口
昇平丸は大砲の船体の砲口に特徴があり、下へ開くようになっている。普通は下の図のように

普通の大砲の砲口
普通大砲は、上に開くようになっている。この辺が特徴的で、他の船には、なかなか見られない特徴となっている。

英国のファイアーシップ
この砲口の方法は18世紀頃のファイアーシップという火付け船が、このような方法をとっていたらしい、西洋では、イギリス・フランス連合艦隊が、スペイン無敵艦隊を破ったアルマダの海戦(1588年)で使用されたタイプの軍船で、この時は廃船同然の船を使用してた見たいだが、18世紀頃になると専用船も登場してたらしく、使い方は至って簡単で、読んで字のごとく、敵の艦隊に火を付けて突っ込み、艦隊の中に入ったら小舟で乗員が脱出するという特攻同然の使用のされ方をする船で、艦隊の中に入って火の海状態になった時でも、火が燃え移り難く、撃てるようにするためのものらしく、この構造がある事は、たまたまファイヤーシップの本が書かれていた箇所があったのではないかと想像は出来る。
実のところ、これを発見したのは、恥ずかしながら、私(筆者)ではない。船の科学館の読書ルームで、ボランティアをやっていたT氏で、この話を聞いた時、なるほどと思い、今回掲載をしました。しかし、9月30日で゛船の科学館゛が休館し、寂しいと思う、今日この頃です。
参考文献
世界文化社 復元日本大観 4 「船」
著者 石井 謙治/石渡 幸二/安達 裕之
法政大学出版局 ものと人間の文化史 76-U
和船U
著者 石井 謙治
小学館 万有ガイドシリーズ11 帆船
日本語版監修 茂在 寅男
翻訳 茂在 寅男
遠藤 明
下沢 百合合
装飾デザイン 坂野 豊
小松原 京子
(洋書)
The Wooden FIGHTIHG SHIP IN THE ROYAL NAVY AD891-1860
E.H.H.Archibald
次回は11月下旬頃予定です。

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